■コイムスビ-神様と一緒-
―――響8:境界地



 小さな小川を渡り、木の実の生い茂る山林へ。

 私に任せられている見回り場所は、三人で住んでいる岩棚の周辺………お山の山頂から中腹の辺り。
 お山は地平が見渡せるほどに高い神山で、周辺を険しい山岳に囲まれている。
 唯一、平地へと続いている北東方向には、かかさまが見回りを行っている“境界地”が見渡す限りまで広がっており、その先に何があるのかは定かではない。

「かかさまは今どのへんなんだろうね」
「ぷきー……」

 高い楓の木の上で、猪を抱いて呟く。

 視線の先には北東の境界地。
 遥か高域から見れば緑の絨毯にしか見えない深い天蓋の下には、一体何があるのだろうと興味を募らせる。

「美味しい木の実が成っていたりしてね」
「ぷきー?」 
「え、そりゃー見たいけど……。
 ととさまに“まだ入っちゃいかん”っていわれてるからね」

 ほんの少しだけ不満の色を浮かべて、遠い樹海を見つめる。
 境界―――神域とその“向こう”を分けるとされる、深い森。

「ととさまが言うところだと、あそこは“かんなび”っていう“たま”の通り道、なんだって」
「ぷき?」
「たま、は魂とか、神域に満ちてる力の事ね。
 向こう側に満ちたたくさんのたまは、みんなあるじさまに会いたくて、神域を目指すの。
 あるじさまのおうちは、私たちの居るお山よりずっと高い……あの高いお空の向こうにあって。
 たまたちはその場所を目指して、森の向こうからやってくるんだって」

 雲ひとつ無い、何処までも蒼い空を見上げて呟く。

「でもたまには、いいたまも悪いたまもいて、悪いたまはあの森をお通し出来ない。
 だから、悪いたまをいいたまにして、森を通れるようにしてあげるのが、ととさまの仕事なんだって」

 その仕事に思いを馳せる。
 地平の彼方まで広がる、広い森。
 アレだけ広い森なのだ、そこにやってくる魂の数は尋常なものでは無いだろう。
 その中から、悪い魂をみつけていい魂にしてゆく作業は、どれほど大変なものなのか。

「そんな仕事を毎日毎日、ずっとずっとこなしているのだから、ととさまはきっとたくさん疲れているのに。
 私の前じゃ全然疲れた素振りなんか見せないんだ。
 だから、ととさまは凄いって、いつもいつも褒めるのに、ととさまはそんな事は無いって言うんだよ」
「ぷきー……?」
「……何でだろうね。凄いよね、ととさま」

 猪の頭に顔をうずめて少し俯いてしまう。
 強くて、優しくて、大きくて、暖かい、大好きなととさま。
 私にとってこれ以上無い偉大な神様なのに、ととさまは、そうなりたいという気持ちを聞く度に少しだけ、悲しい顔になる。

「……駄目駄目!
 ととさまは、なりたい響になれって言ってくれたもんね!」
「ぷきー……」
「ととさまは、“まだ”入っちゃ駄目って言ったから。
 たくさん修行すれば、いつかはととさまとかかさまのお仕事を手伝える。
 だから、今は頑張って立派な神様を目指す事、だよね」
「ぷきー!」
「いよっし、午後の見回り済ませちゃおうか!」

 勢い良く立ち上がると、猪を抱いて楓の木から飛び降りる。
 目で見れば近い、境界地までの距離。
 けれど、今の自分にはまだまだ、ずっと遠い。

『出来ること、やるしかないもんね』

 山肌に降り立った私は、目指すべき場所を見据え、決意を固めるのだった。






コイムスビ-神様と一緒- 響その8。
境界地。
今は遠い夢の場所。憧れたその背に辿り着くために、決意を固める少女。
夢は遠く、理想は近くに。今すぐにでも行きたい気持ちを堪えて、今は出来ることをこなす。




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