決別


墓石の立ち並ぶ石畳の道は、午後の暑気が作り出す
陽炎によってゆがんで見えるほど。
その中で、暑さなどものともせずに、衛宮士郎は墓石を磨いていた。
墓碑銘にはこうある。―――衛宮切嗣。
彼の養父であり唯一の家族だった男。その墓である。

「士郎さん、変えのお水もってきましたよー」
「ありがとう」
なみなみと張られた水桶を地面に下ろす桜。
「……大丈夫か桜?ちょっと洒落にならない日差しだけど」
大きなつばつきの帽子をかぶっているとはいえ、この炎天下である。
桜の額にはうっすらと汗が浮き出ていた。
「え?…平気ですよ?」
「墓参りしてすぐ帰れるかと思ったら、
梅雨時で墓汚くなってたからな…。
……悪い、桜。大事な日の前だってのに力仕事なんかさせて」
申し訳なさそうに頭を下げる士郎に、桜はくすくすと微笑む。
「私、士郎さんのお嫁さんになるんですから。
おとうさんになる人に尽くすのは当たり前ですよ」
そういうと桜はバックから取り出したハンカチで士郎の汗をぬぐう。
「ん……。ありがとな、へへ」
「……えへへ」
汗を拭く桜の手をとって笑う士郎。照れた様に微笑む桜。
その頬が真っ赤なのは気温のせいだけではないようである。
「……士郎、草刈はこの程度で宜しいですか?」
「「うひゃい!」」
突如かけられた声に慌てて離れる二人。
声の主は墓所の裏手で雑草取りをしていたライダーである。
左手に持ったちりとりには抜かれた雑草が山盛りになっている。
「と……うん、いいんじゃないかな」
「はい」
ふふ、と微笑むとライダーは
ゴミを捨てに寺の裏手へと去っていった。

「あー……桜」
「……はい?士郎さん」
「その、悪い」
「悪くないですよ……」
なんとなく俯く二人。
「……こらこら」
コンビニ袋とほおずきの花束を持って
呆れたような表情の藤ねぇが声をかけてきた。
「あ、藤ねぇ」
「もー。新婚気分は明日以降にしなさい。
今日は時間ないんでしょ〜?ほら、アイス」
コンビニ袋からガリガリ君を取り出すと
士郎の頬に押し付ける藤ねぇ。
「……たまーにまともなこと言うよな、藤ねぇ」
「たまーには余計よ」
藤ねぇは手の甲で士郎の頭を軽くこずくと衛宮切嗣の墓の前に立つ。
「ほら、お墓参りはじめましょ」



花を供え、打ち水をし、真昼も過ぎると少しだけあたりは涼しくなる。
『………じいさん』
両手を合わせて目を瞑る。
亡き人のいる場所に、この声が届くように。
『………じいさん。今日は……お別れを言いに来たよ』
少しだけ。両手に力がこもる。


―――夢の原点。
士郎の夢は憧れから始まった。
あの日、からっぽだった自分が憧れた笑顔。
誰かが助かることが嬉しいと、助かってくれて嬉しいと
心から笑う、その笑顔。それがとてもとても奇麗だったから。
だから、士郎は目指した。男の後姿を。
男がなりたかった夢の形―――正義の味方を。

けれど。
今の自分はもう、誰かのために戦う正義の味方では無い。
この世界でただ一人、誰よりも愛しい人を守るためだけの刃。
―――間桐桜だけの正義の味方。
衛宮士郎は憧れたその背中に、
もうたどり着くことはなくなったのだ。

だから―――
今日は大切だったその夢に、別れを言いに来た。


『………じいさん。約束、守れなくてごめんな』
合わせた両手が軋む。
『俺は明日から、桜だけを守る。
桜が幸せに暮らせる場所を守る。
桜が笑って、生きていける世界だけを守る。
だから………もう、約束は守れない』
身の内に宿る刃が軋む音が聞こえる。
『ごめんな。じいさん………』
あの日、月の見える廊下で。
少年の何気ない一言を聞いて安らかに微笑んだ笑顔が……浮かぶ。
それが衛宮士郎の全てだったから―――。


―――軋む刃は悲しげに。

音を立てて泣いた―――。


「………士郎さん?」
心配そうな声が、士郎の意識を現実へと戻した。
「………あ」
「………どうしたんですか?………え」
士郎の顔を覗き込む桜の顔が驚きに歪んでいる。
「……ん?どうした?」
わけもわからず首をかしげる士郎。
「…………もー。ほら、士郎、涙ふきなさい」
そういって差し出された藤ねぇのハンカチ。
「え……涙?」
慌てて目元を拭う士郎。手の甲は濡れていた。
「あ、あれ?なんで俺泣いてるんだ?
あはは、大丈夫、なんでもないぞ」
軽く頬を張って立ち上がる士郎。逃げるように墓を後にする。
「え、ちょっと、士郎〜?」
慌ててその後を追う藤ねぇ。


墓所から立ち去る士郎をなんとなく追えずに
桜は衛宮切嗣の墓から動けずにいた。
「………サクラ?」
黒の従者は動かない主人を気遣うように声をかける。
「あ………。ん、大丈夫よ、ライダー」
そういって振り向く桜の顔は泣きそうなほどに歪んでいて
とても大丈夫そうには見えない。
「………サクラ」
「………いきましょう」
それでも桜は士郎の後を追う。
従者は黙って主人に付き従った。



士郎の結婚前夜編その3。
夢との決別。