夢の代価・後編


どんな時も曲がることなく貫いてきた夢。
誰かを苦しみから助けてやりたい。誰かの笑顔を守りたい。
それ以上のことなど、彼の内には無かった。
だからその夢がもっと多くの人を助けようとする願いに変わるまで
時間はかからなかった。

しかし多くの人を救う行為を、人が使える有限の中で成す為には
どうしても捨てなければならないものがあった。

―――誰かと、深く関わること。

理想を胸に旅立ったその日から、こんなにも深く誰かと過すことなど
一度足りとて無かったのだ―――。


「ぐすっ……ぐす……。あー……ちゃー……?」

消えたぬくもりに驚いたのか、凛はアーチャーを見上げる。
彼女の瞳は、アーチャーが見据える“他の何か”を察したのか、
見る間に涙を溢れさせ、

「あ………や、やだぁ!」

必死になって、アーチャーの腕にしがみつく。
涙に潤んだ凛の瞳は強く語っていた。
―――そんなのは、絶対に嫌だ、と。


「―――――」

その思いが胸に痛い。
けれど、アーチャーは既に『そういうモノ』だった。
例え、目の前に光り輝く大切な宝物があったとしても、
アーチャーは自身を形作ってきたその思いを裏切れない。

―――優しく、だが決然と。
アーチャーは凛の体を離し、立ち上がる。

「ぐすっ……あー……ちゃーさん?……いっちゃ……やです!」
「………どこにも行かないさ。帰ってくる。
私は欲張りだから、取れるものは全部取る。
だから―――ほんの少しだけ、涙を我慢していてくれ」

酷い男だ。そう思う。
あの日の彼女は今の自分にきっと死んでしまえと言うだろう。
―――だから、嫌われて当然。

「………ばかぁ………! ぜったいかえってきてよ……!ひっく……!」
「う……ぐす……。
いって……らっしゃい……。
でも、でも……かえってきたらずっといっしょに……いてください。
やくそく………ですよ?」

それでも、そんな酷い男のことを。
二人は必要だと言ってくれた。


「―――――」


狂おしいほどに、それが嬉しかった。
けれど、その信頼は自分には過ぎたる物だ。

二人の問いに一つ頷くと、霊体化し床を蹴って跳ぶ。
一瞬の後、その体は刺す様な冬の外気の中にあった。
良すぎる耳が距離を隔ててなお、二人の悲しい声を捉える。


『―――オマエはもう、あの二人と親しくするべきではない』


そう、自分の中の誰かが忠告する。

「―――もう、遅い。
最後の最後まで、この宝物を全力で守るしかない。
オレには、それしか出来ない」

冬木の風が血の匂いをはらんで頬をなでる。
その風がいずれ、より強く吹き荒ぶ日が近い事をアーチャーは感じていた。
そう、聖杯戦争の始まりだ。
それは、二人との別れが近いことも意味している。

「こんなことになることは最初から分かっていたハズなのにな。
アーチャー、オマエはどこで壊れた?」

自問の答えはもう出過ぎるほどに出ていた。

「………最初からか。
なんの、私はただの―――」

英雄なんて大仰なものではない。
喜びも悲しみも。そして、幸せも感じる―――

「ただの人間だと、いうことだ」



家政夫と一緒編。夢の代価後編。
長い長い道の最中。彼はつねに孤独と共に在った。
だがそれでもよかった。彼にとって幸せは必要なものでは無かったから。
誰かが喜ぶと『嬉しい』。誰かを救えると『嬉しい』。それだけで良かった。

けれども、必要とし必要とされることで得られる幸せを。
遠い昔、無くした筈の暖かさを。
彼はこの冬木で―――思い出してしまった。

ソレはイレギュラーが生んだありえない奇跡。
今ここに在る男は既に人。幸せの在り処を思い出してしまった
ただの人間だった。