君を守るために



アイリスの体を抱き落下してゆく切嗣。
遠い対岸ではアーチャーが精神集中を開始し何かをしようとしているが、
恐らくは面倒な手順が必要なのだろう。
―――間に合わない。


ザプッ―――ジュア―――!!


重い音と共に泥の海へと着水する。
身を焼く凄まじい激痛。だがそれよりも恐ろしいのは―――




死ね―――

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね




流れ込んでくる億の呪い。
そのあまりに強烈な念の総量に切嗣の精神はあっという間に押し潰される。


「あ、があああアあああア―――――――――ッッ!!!!!
やめ、やめろやめろやめろやめろヤメロやめろやめろやめろやめろやめろ
やめろやめろやめろやめろやめろやめろやメろやめろやめろやめろやめろ
来るなァァァァァァァ―――――――――――――――!!!!」


自分が何処にいるのかさえ見失い、億の狂気の中で
地獄の苦しみから解放されるために暴れまわる。


「ああああああああああああああああああああああああああ!」


何をしていたのか。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


何処へ向かおうとしていたのか。


「亜吾嗚呼唖亞阿唖アあ亞悪吾唖阿吾亞アあ嗚呼唖亜唖阿嗚!」


何を救おうとしていたのか。


「――――――――――――――――――――――――――!」


腕の中に感じる儚い重み。
それを意識した瞬間、切嗣は狂いかけていた精神の手綱を取り戻す。
眼球を焼く恐ろしい痛みも物ともせず、黒い泥の中に捉えるその姿。


アイリスフィール―――僕の愛する人。


アイリスの身体は黒い泥に焼かれ、見るも無残な姿になっていた。
このままでは彼女が死んでしまう。
だが、アイリスをそれだけ傷つけた泥の中でも、
切嗣の意識は途絶えるどころか鮮明なまま―――何故か。


『………………そうか。
僕は、君を守るために………ここにいるんだ、な』


アイリスを強く抱きしめて自らの内に手を伸ばす。
魔術回路の奥底で輝き続ける黄金の“鞘”。
光り輝く不死の礼装に全ての魔力を叩き込み、身体の内から解き放つ。


『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』


瞬間、全ての傷は癒され最後の力を切嗣に与える。
滾る力を推進に変え、泥の海を浮上する切嗣。


ザパァァァァァッ!!!


「――――――!」
「―――切嗣っ!」

水面に出た瞬間、切嗣の下へ伸びてくる鎖。
鎖は鞘を掲げる腕をしっかりと捕縛し、岸に向かって引きずり始める。
その間も身を焼き続ける黒い泥。切嗣は愛する人を見つめ微笑を浮かべると、
自分に働いている礼装の効果を引き剥がし、鞘に還元する。


「………………?
あれは………………」
「―――聖剣の………鞘」


光の固まりとなり、アイリスの胸に吸い込まれていく聖剣の鞘。
同時に、アイリスの身体を苛んでいた泥の侵食は癒され、
体に融合していた異物は抜け落ち、焼かれた肌は瑞々しさを取り戻していく。


「………これで、よし。
随分と………待たせてしまったな、アイリス」
「………………………」


じゅうじゅうと身を焼いていく黒い泥。
どろどろと身を犯す億の呪い。
だが、切嗣の体内にはそれを浄化する鞘は存在しない。


「………色々と………遠回りしてしまったが………。
君を、イリヤの下に………帰してあげる事が………出来そうだ」
「………………………」


どんどん薄れていく身体感覚。アイリスを抱く腕の力さえ
空ろになっていくが、それだけは手放すわけにはいかない。
消えていく体の力を振り絞り、アイリスの温もりに集中する。


「………馬鹿をやってしまった僕を………許して貰えるかな。
………こんなにも遅れてしまった僕を………許して貰えるかな………」
「………………………」


岸まで、もう少し。
帰るべき場所まで、もう少し。


「………………ああ、聞きたいな………。
………きみのこえ………が………ききたい………」
「………………………き………り………つぐ………………」
「………………あ」
「きりつぐ………切嗣………切嗣………………!
………馬鹿………! 馬鹿です貴方は………!」
「………………ああ………………」


目を開き、見つめてくるアイリス。
とてもとても美しくて、優しい顔。その頬を伝う奇麗な涙。
また、泣かせてしまったようだ。


「切嗣、死んでは、死んでは駄目です………!
私は、誰を待てばいいのですか………………!
貴方以外の誰を待てばいいのですか………!!」
「………………あ………………ああ………………」


涙を拭ってやりたくて手を動かそうと思うけれど、腕の感覚が無い。
華奢な肩を抱き寄せようと思うけれど、体の感覚が無い。
それが口惜しくて溜息をつく。これでは格好がつかない。

岸までは、あと少し。
帰る場所までは、あと少し。
………大丈夫、大丈夫だ、僕の大事なアイリスフィール。
君を待っていてくれる人はちゃんといる。


「………あ………いり…………す………
ど………………うか………………
………し………………わ………せに………………」
「駄目、駄目です! そんなの許しませんからっ!
約束、約束したんですから………………!
私と一緒に、イリヤの下に帰るって………約束したんですから………っ」
「………………………………………………………………………」
「いや………嫌っ………いやです切嗣………!
目を覚まして………………切嗣っ!
切嗣、切嗣、きりつぐ――――――――――――っ!!


もう何も見えない暗い世界の中で、悲痛な声だけが切嗣に届く。
その端正な顔を笑顔にすることも、可愛らしい唇を奪うことも、
君をこの手で幸せにしてやることも。
出来ないことがとても残念だなと、そんな事を思いながら。
衛宮切嗣の意識は―――断線した。



◇  ◇  ◇  ◇



家政夫と一緒編第四部その25。
傷つき、迷い、狂気に犯され、殺し続けた魔術師殺し。
けれど、最後の最後で守ることが出来た。
心に灯火をくれた―――大切な白い花を。