理想の果て



◇  ◇  ◇  ◇



戦いは終わり大空洞に静寂が戻る。残す敵は歪に曲がった聖杯のみ。

切嗣は泥の塔からコンバットナイフを引き抜くと、壁を蹴り塔の中腹へと降り立つ。
黒い銃身を手に老人の下へと歩み寄り、50口径の照準を頭に向ける。
後はトリガーを引くだけで全てが終わる。


―――ヒュンッ―――ダカッ!!


―――だが。
黒い銃身を貫き、泥の壁に磔にする赤い魔弾。
切嗣は痺れる腕を振り払い、アームマウントからジェリコを右手に放つと、
対岸を照準し目標を睨みつける。

「………この男をも救う気か、アーチャー」

その目に映るのは弓を構えこちらを見つめるアーチャーの姿。
何が苦しいのか、彼は眉根を寄せ表情を歪めてはいたが、
その瞳に宿した断固たる意思は揺るいではいない。

『ああ。それが私の聖杯戦争だ、切嗣』
「それがこの場所で得たものコタエか。
殺さずにやっていけると、そんな世迷言を本気で信じているのか」
『………殺さずに、か』

その言葉に目を細め、切嗣を睨みつける騎士。
彼の浮かべる表情に思わず背筋が寒くなる。
それは―――なんと厳しく、恐ろしい眼光なのか。


なるよう・・・・為す・・だけだ。
誰も―――自分自身からは逃れられない』
「――――――」


その瞬間、切嗣は理解した。
イスカンダルを救おうとした事も、自分たちを救おうとした事も、
彼にとっては全て等価だったということに。
彼は、誰かを選んでいるわけではない。選んで救っているわけではない。
ただ、負った業に報われよと。その勤めを全うせよと。
そこから逃げ出すことを許さないだけなのだ。

その結果、救った人間が未来で幸せになろうと。
自らの犯した業に潰され、腐り苦しみながら死に果てようと。
―――その業を背負って生きろと。
自らの意思で歩んだ道の結果を、突きつけているだけなのだ。

それは、速やかな死よりも過酷な煉獄。
悪業の果てに誰かに殺されて死ぬよりも、自らの理想の中で
朽ち果てていく苦しみがどれほど辛いものか、切嗣には判る。

死は一瞬―――されど自業は永続である。

切嗣も、そして対岸のセイバーも静かな目でアーチャーを見つめる。
彼の救済は、この老人にとって………否。
この冬木にやって来た、道を見失い進む者達にとって、
何よりも厳しい罰だ。奇跡に頼る人間には後が無い。
それ以外に願いを叶える術が無いのだから―――。


ジェリコをホルスターに戻し、老人の前を歩いて過ぎる切嗣。
そうして、アイリスの前に立つ。

「………な、どうするつもりじゃ………!」
「言うまでも無いだろう。アイリスを助ける」
「たわけ………話を聞いておらんのか!
“この世全ての悪”を制御するには正純の器が必要じゃと
言ったじゃろうが………!」

老人の言葉を無視し、泥の拘束に手をかける。


―――ジュウウウウウウッ!!


「ぐう………っ!!」

切嗣の皮膚を焼く呪いの泥。
だが、その痛みに怯むことなく一本一本剥ぎ取っていく。


「………っ、やめんかっ!!
ユスティーツァを聖杯から外せばアンリマユが暴食を開始するぞ!
そうなれば、儂もおぬしらも皆死ぬ! 判っておるのか!」


手の皮膚をズタズタにしながらようやく全ての拘束を外す切嗣。
白いドレスに包まれた彼女の身体を優しく抱きしめ塔から引き剥がす。
途端に、白いドレスは黄金の砂に変わり、風に舞い散っていった。


「き、貴様ぁあぁあああああああああああっ!!
わ、儂の悲願を、不老不死を!
やめんか、やめんかぁぁぁぁぁ!
戻せ、戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ
戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ
戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ
戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ!」


腹に埋め込まれた聖杯を痛々しく見つめ、
泥に焼かれ傷ついたアイリスを抱きしめる。
もう、離さない。これ以上君を傷つけさせはしない。
裸になってしまったアイリスの体にコートをかぶせ、踵を返し歩みだす。


「戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せっ!
儂の………儂のリズライヒを戻さんかァァァァァァ!!!」
「―――黙れ」


恐るべきクイックドロウでジェリコを引き抜くと、
老人の指を吹き飛ばす。

「っ………がああああああああああっ!!」
「ユスティーツァでもリズライヒでもない。
僕の―――アイリスフィールだ」
「だ………黙れ、黙れ黙れ黙れっ、小童が!!!
百年も生きていないお主に何が判ろうか!!
奇跡を諦め願いを捨てるお主に何が判ろうか!!
儂は、儂は捨てぬ! 儂は死なぬ! リズライヒの前で失敗に終わるなど以ての外!
儂は叶えるのじゃ! そして、リズライヒに見せねばならんのじゃ!
儂の理想の形を見せ付けなければならんのじゃッ!
返せ! 戻せ! 儂に叶えさせろ! 不老不死の願いを叶えさせろぉぉぉ!!」

眉をしかめ銃をホルスターに戻す。
この老人にも叶えるべき理想があったらしい。
だが、それを目の前で叩き潰すことがこの老人に対しての報復。
切嗣にとっての復讐だ。
彼の願いを叶えてやる義理も温情もありはしない。



「理想を抱いて溺死しろ―――マキリ・ゾォルケン」



ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ………………



アイリスを開放したためか、低い振動に揺らぐ大聖杯。
歪み始めた泥の塔を背に、鎖を踏んで岩棚へと走りだす切嗣。
後はセイバーの聖剣を以って開きかけた孔もろとも
大聖杯を破壊すれば―――終わりだ。

息を吐く一同。戦いは終わったかに見えた。
―――だが。


―――令呪の制約を以って、我がサーヴァント・アサシンに命ず


ぼそりと呟かれる命令の言葉。
老人の口から放たれた小さな小さな呟き。
その呟きは誰の耳にも届かない。
ただ―――今にも消滅しそうな彼の従者以外には。


鎖を破壊し、あの二人を―――落とせ


泥の中で分解されつつあったアサシンは、
残された全ての力を強化された筋力に振り絞り、
全てのダガーを“天の鎖”に向かって投げ放つ。

対神兵装“天の鎖”。神性を持つ存在に対しては絶対的な戒めを
発揮する鎖ではあるが、それ以外の目標に対してはただ頑丈なだけの
“鎖”に過ぎない。


ヒュヒュヒュヒュヒュン―――キインッ―――!


ダガーの攻撃を一点に集中された鎖は澄んだ音を立てて千切れる。

「―――え」
「―――な」
「―――っ」

突如として張りを失った鎖の上で、体勢を崩す切嗣。
その下には、黒い泥のプールが――――――



家政夫と一緒編第四部その24。
遙かな時の彼方、確かにあった尊い理想。
狂気の中でそれを見失っても、老人は仇敵であり好いた女の前で
無様を晒すわけにはいかなかった。
そうだ、見せるはずだったのだ。叶える筈だったのだ。
遠い日に憧れ、目指した尊い理想の具現を―――!