聖杯



赤光に満たされた岩棚の上で、
突如として現れた切嗣と向き合うアーチャー。
銃を握り二人を見下ろすその目には感情らしきものは浮かんでいない。

「っ………切嗣」

セイバーを胸に抱き切嗣を見上げる。
果たして、間合いと体勢で切嗣から逃れることが出来るのか。


「一つ、確認したいことがある!」


だが、切嗣はアーチャーに攻撃を仕掛けてくることなく
泥の塔にいる老人に向かって声を張り上げる。

『………衛宮切嗣か。
今一歩のところで邪魔をしてくれるとは、どういうつもりじゃ。
そこのサーヴァントは聖杯を壊すつもりじゃぞ?』
「それだ。貴様が聖杯と呼んでいる歪な塔、
それは本当に“壊れて”いるのか?」

切嗣の質問を聞くと面白そうに表情を歪める老人。
―――一体、どういうことだ?

『ほう………流石は魔術師殺し。
幾多の魔術を葬ってきただけはあるのぅ。
無論、大聖杯は壊れてはおらぬ。少しばかり厄介なものが
巣食っているだけよ』
「………やはりな。壊れたものにそこまで執心するのは
おかしいと思っていた。―――マキリ・ゾォルケン」

鋭く細められた視線に込められた殺意は如何ほどのものか、
顔を歪め哂う老人を切嗣は射殺すように睨みつける。

『ほう、儂を知っているのか』
「ハンターとして生きる魔術師に貴様を知らない人間はいない」
『愚物共が長々と根に持ちよって………。
まあよい、して衛宮切嗣。お主は何故そんな事を知りたがる。
すべてのサーヴァントを殺せば聖杯はお主の物。
それ以外に何の興味があるのかの?』
「年をとりすぎて血の巡りが悪いようだな。
この世すべての悪アンリマユ”………そんなものが生まれれば
恐ろしい災害が起こることは予想出来る。
それは避けねばならない―――マキリ・ゾォルケン、貴様とてな。
問題は、どうやってその存在を“制する”、
もしくは“排除する”つもりなのか―――そこだ」
「―――!」
「………切嗣………?」

アーチャーとセイバーは思わず老人を見る。
確かに、聖杯戦争の勝者になろうとも聖杯自体が完成してしまえば
ありとあらゆるものを殺しつくす化け物の誕生を許すことになる。
老人としてもそんなものを誕生させれば自分の身がどうなるかは
理解しているはずだ。

『呵々々、倒すべき悪の存在を知ってなお、
願望機に未練があるわけか―――!
その望み、実に切実よの………!
いいじゃろう、教えてやるわ!』
「切嗣………」
「………………」

老人はさも満足そうに頷いて押し黙る切嗣を見つめる。


『冬木の聖杯とは強大な七つの円冠タマシイを用いて
第三法を成すという、失われた“魔法”の獲得儀式じゃった。
その為に用意されたのが魔術礼装“天のドレス”と、
ユスティーツァという稀代の魔術回路であったことは知っておるな?』
「………ああ」
『結構。
儀式完遂の為、生身であるユスティーツァ自身が聖杯となったのは、
荒れ狂うサーヴァントの魂を制御する為に
精緻な魔術制御と受け皿となる巨大な回路が必要だった為じゃが、
そも此度の聖杯が暴走した原因は“そこ”にあった』
「………そこ?」
『今回アインツベルンが用意した聖杯は“無機”。
無機の器ではサーヴァントの魂を留められても
“御す”ことは出来ぬ。魂を管理するのはあくまでも
聖杯として作られた肉の器でなくてはならんということじゃ。
誕生の意を以って聖杯に巣食う存在がおるのならば尚のこと』
「………………」
『聖杯を寄り代に生まれ出ようとする彼奴を捨て置けば、
願いを叶える以前に、溜め込んだ魔力の全てを無為な泥に変換し、
冬木を覆い尽くしてしまうじゃろう。
そこで彼奴を抑え込む為………正純たる肉の器を使うことにした』
「………………肉の器、だと?」
『――――――左様』


切嗣の問いかけに老魔術師は顔を歪める。
暗く落ち窪んだ眼窩の奥に浮かぶのは―――愉悦の色。


『衛宮切嗣よ、お主は知っておろう?
此度の聖杯戦争に、聖杯を御するために遣わされた存在が一人だけおったな』
「………………?
アイリス………の事か?」
『左様。あのホムンクルスはユスティーツァと同じ苗床から作られた
同型機ということが判った。あ奴を抑えたのは第三法起動の為だったのじゃが、
実に都合が良かったのぅ………』
「………なにを………言っている?」
「………っ、切嗣………! アイリスフィールは………!」
『くく………そこでのう。
少々手荒いが、融合してもらったのじゃよ。聖杯と―――な』


そうして老人は腰掛けていた塔の中腹から立ち上がる。
老人が座っていた場所の背の部分が開き、大きな空洞が出現する。
そこにはドレスを着た美しい女性の姿があった。


「―――――――――――――――」


その姿を見て、切嗣は絶句する。
それは、彼が愛した女性の姿。
守りたいと願った大事な人。
アイリスフィール・フォン・アインツベルン。

腹に無機の聖杯を埋め込まれた惨たらしい姿で、
泥の塔に磔にされていた。



「………………………き、
貴様ァァァァァァァァァ!!」



絶叫する切嗣。
放たれる怒気そのままに飛び出す彼を、プールから吹き上がる
泥の触手が薙ぎ払う。

「ぐ………………ああああああああああっ!!!」

その一撃に倒れ、痛みにのた打ち回る切嗣。
アーチャーの腕の中にいたセイバーは動かない足を引きずって
切嗣の下へ駆け寄る。

「切嗣………切嗣!」
「………ぐ、ううううう!
アイリス………アイリス………っ!」
『く………呵々々々々々!
そうかそうか、見事騙されてくれよったか衛宮切嗣。
それだけ派手に取り乱してくれると騙り手としては感無量!
お主は実に良く踊ってくれた、その働き賞賛に値するぞ!』

杖を塔に突き、哂いに哂う老人。
その様は人というよりも亡者というに相応しい醜さだった。


「―――っ、黙れっっ!!!!
切嗣が………切嗣がどれだけ彼女のことを想っていたと………!
どれだけ人を弄べば気が済むのだ、どれだけ願いを踏みにじれば
気が済むのだ………! マキリ――――――ゾォルケン!!!」
『―――小賢しいわ!!
騙される幸福の中で存分に踊っておったのは誰じゃ!
お主らは安易に騙され、どれ程多くの命を奪ったのじゃ?
その責を儂になすりつけようとは笑止千万、片腹痛いわッ!!」

その言葉に奥歯を噛み締めるセイバー。
老人の言葉は至極正論。だが、そんな言葉に納得できるはずも無い。


「………………く。
悪党が良く吼えるな。魔術師」
『………なんじゃと?』

傷ついた体を抱え、ゆっくりと立ち上がるアーチャー。
その瞳に絶対零度の嘲笑を乗せて老人を睨みつける。

「そうだな、肉の器を使って“この世全ての悪”を制御できたとしよう。
だが、それほどの悪性を持った存在を制御して、貴様はどうするつもりだった?」
『………ほう。
くく、お主の想像している通りじゃよ』
「逆らうものは皆殺す、邪魔するものは皆殺す、そういうわけか」
『呵々々………。
力など持っているだけで害虫共協会が寄って来るじゃろうからな。
抑止は必要じゃて。そうしてゆくゆくは―――』
「黙れ。貴様には奇跡を掴む資格など無い。
多くの命を弄んだ罪―――悔いて詫びるがいい」
『………呵々々………!
お主は判り易くてよいのうアーチャー!
流石は遠坂のサーヴァント、いのいちに喰ろうてくれようて!』


静まっていた泥の脈動が再び活性化する。
静かな胎動が大空洞を覆う中、アーチャーは再びその手に弓を取る。



家政夫と一緒編第四部その21。
願いに狂い、戦いに疲れ果てた魔術師はここに元凶を見出す。
だが、守るべき人は泥の牢獄に捕らえられ―――。