Interlude9-1:背水



深夜の山林に荒い呼吸がこだまする。
震える体を抱え杉の木の下にうずくまる男は、
“魔術師殺し”衛宮切嗣である。

「はあっ、はあっ、はあっ…………!!」

酷い痛みと倦怠感に意識をかき乱されながらも、
震える手でポケット内にあるFPR製のケースを取り出す。
ケースの中には医療用パックといくつかの錠剤に注射器数点。
さらには古めかしい封のされた小袋もある。
朦朧とする意識を必死に繋ぎとめながら注射器を取り出すと、
医療用パックの一つに突き刺し、内容物をシリンダーに装填する。
注射器を皮下に打ち込み薬液を残らず注入するとそれから数分、
体を覆っていた激痛が徐々に和らいでいく。

「はっ……はっ……う、うぐ……がはっ……」

それでも鈍い鈍痛と倦怠感、気分の悪さは収まらない。
ケースからカプセルを取り出し、奥歯で押しつぶし嚥下すると、
強烈な多幸感が脳内に走り意識が鮮明になる。
そうして、ようやく痛みを忘れる体。

「…………く……くくく…………。
甘い……目算だったか………」

ケースに目を落とし口元を歪める。
遠坂時臣との戦闘中に受けた大ダメージを修復する為に
使用した“鞘”の力は、人体に有害な副作用をもたらす
フェンタニルやアンフェタミンをも排除してしまったのだろう。
その為、表面修復で抑えていた傷の痛みや、
発痛物質サブスタンスPの放出異常によって起こっていた幻覚痛が
一気に襲い掛かってきたというわけだ。

……つまり、薬を使わない状態こそが衛宮切嗣のコンディションということになる。


「はははは…………とっくに……リタイアだったというわけか……」


当然といえば当然なのだろう。
切嗣の切り札“固有時制御”は身体に過剰な負担のかかる魔術であるため、
本来はミッション毎の休息を必要とする。
こんな戦いを何日繰り返してきたのか。身体状況の不全は当たり前だった。

また、戦闘に対する超人的才覚に恵まれた切嗣ではあったが、
その身体には並外れたタフネスや超絶の運動能力が備わっているわけではなく、
サーヴァントと戦う為に施した身体強化のエピネフリン系魔術薬や
痛み止めの麻薬は、度重なる過剰投与の為に切嗣の体を蝕んでいた。

………そんな無茶を“鞘”の回復能力で補い戦い続けてきた。
この戦争中に受けた身体ダメージを累計すれば切嗣の体は塵も残らない。
“鞘”が無ければとっくに死んでいる戦いなのだ。


―――これは、奇跡の対価。
人では抗えない存在にただ一人立ち向かった報いであり、
ただの魔術師エキストラ英雄主役に抗った正当な代償だ。


『くく………ああ、それでも。
勝利さえ掴めば、石ころの見た夢でも現実になる』

口元を自嘲に歪め、天を見上げて哂う。
この身は英雄とは程遠い、愛する人一人守れない無様な道化だ。
だから、願いの為に踊るだけ。
叶うはずのない滑稽な夢に全てを投げ打つだけだ。

『………休んでいる暇など無いな。
アーチャーを殺さなければ聖杯が破壊されてしまう』

ふらつく体を抱えて立ち上がると、切嗣はセイバーの気配に
意識を集中する。彼女もアーチャーの意図を知る以上、
どれだけ仲違いしようと彼を止めるべく動いているはずだが。

「―――む?」

だが、地中から溢れてくるどす黒い念に阻害され、方向が特定できない。
判るのは柳洞寺方向の何処かにいる事ぐらいである。

『……しかし……なんだ、この強大な念は……?』

サーヴァントのものだろうか。
しかし、判明している残りのサーヴァントは
セイバー、アーチャー、アサシンの三騎。その何れも
ここまで桁外れの悪意を撒き散らすほど歪んだ英霊では無いはずだ。

『……嫌な予感がするな』

医療用ケースをポケットに突っ込み、ジェリコと50口径に
銃弾を装填しなおすと泥を払い立ち上がる。
肩を回し軽く体を動かして身体状況の確認をする。
動かしてみる限り痛みは感じないが、
それが薬の効果だということは嫌と言うほどに思い知らされた。
“鞘”の能力をもう一度使い、痛みを沈静化させている薬効が
消滅すれば……この心身は崩壊するだろう。
実質、これが最後の戦いだ。ここで終わらせなければ
切嗣が勝利することはありえない。

『―――終わらせるんだ』

この戦いに己の全てを賭ける。
背水の覚悟を胸に、魔術師殺しはふらつく足取りを御して
大聖杯へと歩き出した。



家政夫と一緒編第四部その18。Interlude9-1。
―――固有時制御も、並外れた銃撃技術も、
人間相手ならばただそれだけで必殺を誇る武器だ。

だが、切嗣が相手にしてきたのは人外の存在、サーヴァント。
彼らと拮抗するために支払った代償は、
切嗣という器を満たして尚、余り余る大きなものを求めてきた。

魔術も奇跡も等価交換の産物。代償なくして手に入れられるものではない。
だから、この命を賭けよう。
その代わり、叶わなかった夢を―――叶えて見せろ、聖杯。