天の杯



重症を負っているセイバーを床に横たえると
アーチャーは暗い洞窟の奥を見据える。
ゆっくりしている時間は無い。もう行かなければ。

「セイバー、悪いが私は行かせてもらう。
こうなった以上、相手も形振り構わず儀式を完遂させる可能性がある」
「……待ちなさい、アーチャー。
私も…………行きます」
「……セイバー?」

アーチャーの言葉を聞き終えることなく身を起こすセイバー。
胸の中央に干将を突き立てられ、魔力循環を阻害されている
今の彼女は、動くことすら辛いはずだ。

「……その傷でか?
それに、君にかけられた令呪は消えたわけではない。
私と敵対せずに行動を共にするのは辛いだろう?」
「……それでも。
交わした約束がある。私にはやらねばならないことがあるのです。
のうのうと寝てはいられない」

ふらつきながらも立ち上がるセイバー。
強情な彼女のことだ。こうなった以上何を言っても
聞き入れないだろう。

「……わかった。だがこれから先、君を気遣う余裕は無いぞ」
「満身創痍の身で何を言いますか。
貴方こそ私の足を引っ張らないように」

足をふらふらさせながらも皮肉を叩き合う二人が可笑しいのか、
横で見ていた幼子二人がくすくすと笑っている。
二人の様子に顔を見合わせると、苦笑を浮かべるアーチャーとセイバー。

ああ、きっと上手くいく。
自殺を望んでいた自分も、進むべき道を見失っていたセイバーも、
大切なものを取り戻すことが出来た。
ならばきっと……この戦いを終わらせることも出来るだろう。

傷つきボロボロの体を抱え歩き出すアーチャー。
さて、最後の仕事を終わらせに行こうか。



大空洞を奥に進むにつれ、大気を覆う負の念は強さを増してゆく。
これほどに強くなると大源とはいえ害悪と変わらない。
セイバーの呼吸は一層速くなっているようだし、
アーチャーの腕の中にいる聖骸布を纏った小さな二人も相当に辛そうだ。

「大丈夫か、凛、桜、セイバー」
「わたしはまだましだけど…………」
「さむいですー……」
「……貴方は平気そうですね、アーチャー」
「私はろくな出では無いからな。冥府の底でも活動してみせる自信があるぞ」
「出来ればそんな場所に呼び出されたくは無いですね……」
「……違いない。そういえばセイバー……」

先程から気になっていた質問をぶつけることにする。

「先程言っていた“約束”とは?」
「ああ……ある人と交わしたのです。
切嗣を救うために、彼の大切な人を守って欲しいと」
「大切な……人?」
「はい。その人の名は
アイリスフィール・フォン・アインツベルン。
切嗣の………妻です」
「…………なんと」

切嗣に妻がいたとは。
たしかにフェミニストを気取っていた彼にそのような相手がいても
おかしくは無いと思うが―――アインツベルン?

「……そうか。確か……イリヤの……」
「知っているのですか、アーチャー?」
「……ん。直接面識は無いが……間接的にな」
「貴方は一体…………む?」

岩陰から見える光。
暗い洞窟を抜けるとそこは果ての見えぬほどに巨大な空間。
禍々しい赤光が天井すら見えぬ巨大な空間を赤く染め、
一枚岩の上に立つ何かを……照らし出していた。


「…………なんだ、あれは?」


それは……なんと形容するべきなのか。
儀式場というにはあまりに禍々しく、聖域というにはひどく醜い。
巨大な魔力を宿した不恰好な泥の塔が、
黒い太陽を頭上に讃え岩棚の上に鎮座していた。

「うううう…………なにあれ…………」
「き、きもちわるいです…………」
「な…………なんですか、あれは」
「………………」

その問いに応えるものが無い。
魔術によって作られた代物にしても、そそり立つ泥の塔は
あまりにも禍々しく、とても何かを制御する装置には見えない。

遠く岩棚の下から泥の塔を見つめる一行。
その時、アーチャーの耳が僅かな音を拾う。

「―――誰だ」

鷹の目が遙か岩棚の上に立つ人影を捉える。


「呵々々…………よく来たのう。
これこそが天の杯ヘブンズフィール。願いを叶える―――万能の杯よ」


そう言って哂う老人。
狂ったように上がる哄笑が呪いの立ち込めた空洞に響き渡る―――。



家政夫と一緒編第四部その15。
天の杯―――ヘブンズフィール。
200年の時を越え、再びこの場所に現れた老人は、
己が願いをかなえるために……彼らを待ち受ける。