願いを賭けて



斜面を滑り降り、到達した小川。
周囲よりも一段強い魔力が漏れ出しているところを見ると、
どうやらここが“当たり”らしい。

『しかし…………これは』

感じる魔力は大源というよりも既に念。
しかも、とびきりに性質の悪い悪意の念だ。
その強さに中てられたのか、凛と桜は少々気分が悪そうだ。

「大丈夫かね、二人とも。
凛は回路を回せ。桜は……そら、この聖骸布を身に着けていろ」
「は、はい……」
「……でも、なにこれ?
せいはいって、ほんとにこのなかにあるの?」
「……その筈……なんだがね」

聖人の血を受けた最上の聖遺物、“聖杯”。
まがりなりにも聖杯の名を関する以上、それがこんな念を発するわけが無い。
聖杯の術式は間違いなく壊れている。

「………相手が何であろうと、術式完成前に叩き壊せば
それで終わりだ。行くぞ」
「……うん」「……はい」

小川を乗り越え岩塊の隙間へ入ると、入り口を探すため岩肌を探る。
すると見た目は岩肌だというのに手が沈む場所を見つける。
一歩踏み込むと、そこは暗い闇の中。

「きゃ……」「わわわ……」
「大丈夫、私はここにいる。しっかり掴まっていろ」
「あ、うん……」「はい……」

岩肌の通路は人が一人通れるぐらいの狭さで、
地面には水が流れていて滑りやすくなっている。
アーチャーは二人を抱きかかえると
鉄の長靴から登攀用のショートエッジを引き出し、
岩を削りながら慎重に進んでゆく。
通路は下へと続く急勾配の斜面に変わり、
道幅は屈んで進まなければならないほどの狭さに変わってゆく。

「…………む」

斜面の入り口でアーチャーは妙なものを見つける。
岩肌が削れた跡。硬いものがここにぶつかったのだろうか。
痕跡はまだ真新しいもので、触るとその部分がボロボロと崩れる。

『誰かがここを通ったな?
傷跡の位置からすると……鎧の類か。
だとすると…………」

―――セイバーか。
どうやら彼女もこの場所を知っていたらしい。

『……覚悟を決めねばならんな』

感覚の戻ってきた右手を軽く握り、視線を鋭くする。
聖杯を諦めていないのならば彼女とも戦わなくてはならないだろう。

急勾配の地面に背をつけながらゆっくりと降りてゆく。
曲がりくねりながら下へ下へと下ってゆく通路は
まるで黄泉道のようでいい気分はしない。
その感情が伝染したのか、アーチャーの外套を握り締める二人も
また無言。言葉を発することなく三人は通路を降りてゆく。



―――そうして、洞窟に到達する。



―――カツン。

「わあ…………」

思わず声を上げる凛。通路の岩肌には一面に光苔が張り巡らされており、
暗闇を緑色に照らしている。

「うー……きれいですけど……なにか……」

桜は肩を抱えて身震いする。
彼女の感じ方は尤もだ。肌に感じる淀んだ空気と共に、
宙を漂う強力な大源が、緑の光を酷く肉感的なものに見せている。

「これは…………」

思っていたよりも拙い状況かも知れない。
この術式の結果現れる何かが何であろうと、
その現象はここに漂う全ての大源を力に代えて放たれることとなる。
そうなれば、サーヴァントとして定量の魔力しか供給されない
アーチャーには抗う術は無い。

―――抑止カウンターガーディアンの出動である。

これほどの存在を消去するために顕現する抑止がどれだけの力を備えて
現れるかは想像に難くない。
まず間違いなく―――冬木は地図上から消滅するだろう。

「……いくぞ、凛、桜」
「うん」「はい」

強い決意を胸に一歩を踏み出す。
二人が暮らすこの街を、守りたい人達が暮らすこの場所を、
地獄に変えさせはしない。

一歩、また一歩、大聖杯に向かって歩みを進める。
不安に怯える二人の手をしっかりと握り、
徐々に広くなっていく通路を黙々と歩く。


そうして目の前に現れたのは―――巨大な空洞であった。


鷹の目を駆使して空洞の全貌を図ろうとするが、
奥のほうは闇に霞んでよく見えない。
横幅は大体学校の運動場ほどだろうか。天井までは十メートル。
家なら楽に入ってしまうほどの大きさである。

そうして見渡した空洞の中ほどに、この場所には似つかわしくない
清冽な気配を持つ剣士が立っている。


―――セイバーである。


「………セイバー」
「洞窟の反響音から……何者かが近づいてきていたのは
判っていましたが……待っていて……正解でしたね。
聖杯を……破壊しようとする意思は……まことのものですか……?」

幽霊屋敷で出会ったときと同じように苦悶を顔に浮かべ
問いかけてくるセイバー。何処でそれを知ったのだろうか。
口元を皮肉げに歪めその問いに答える。

「ああ。聖杯などいらんと言っただろう」
「……やはりその意思は……まことのものなのですね」
「それよりも、この気配を察してなお聖杯が欲しいのか?」
「今聖杯を握っている術者が………良からぬ事を企んでいるのでしょう。
ならば………それを止めて聖杯を手に入れるまでだ」
「……そうか。退く気は無いと?」
「………無論」

振り払うように伸ばした手には黄金の剣一振り。
途端に全身から放たれる殺気。セイバーは本気だ。

「いいだろう。凛、桜。通路の方に隠れていろ」
「あ、あーちゃー……」
「あーちゃーさん……」

不安に眉を寄せる凛。
少女は察しているのだろう。セイバーの身体から放たれる魔力が、
冬木大橋の時とは比べものにならないことを。

だが、それでも。例えどれだけ勝ち目が薄くとも。
理想を貫くため、勝利を得るため、そして―――二人を守るために。
アーチャーはここで止まるわけにはいかない。

「大丈夫、勝てない戦いはしない。
君たちを必ず守ると約束しただろう?
だから安全なところに隠れていてくれ」
「うん……」「はい……」


凛と桜は互いの手を取って通路の方へと引き返してゆく。
その姿を見送ると、アーチャーは干将莫耶を投影しセイバーと対峙する。

裂帛の気合を以って向かい合う赤と青。
武器を構え睨みあう両者に発する言葉は無い。
こうなった以上判りきっているのだ。
勝たなければ、己が理を相手に認めさせることが出来ないことを。


―――オオオオオ…………。


震える大源、軋む大気。
徐々に収束してゆく獅子の殺意。
幽霊屋敷で見せた恐るべき力が開放されようとしている。
膨れ上がる獰猛な気配に肌を粟立たせながら、
アーチャーは静かに腰を落としてゆく。

戦力分析はもう意味を成さない。
正面から戦って勝つしか無い以上、ただ自分のすべてをぶつけるだけ。
必要なのは呑まれない事、それだけだ。


「――――――いくぞ!!」


地を蹴る赤い騎士。
獅子は漲る殺意を力に変え、全力で騎士を迎え撃つ―――。



家政夫と一緒編第四部その10。
成すべき事を成すために、守るものを守るために、
一歩も引けない剣兵と弓兵。
全てを賭けて今一度ぶつかり合う。