Interlude8-2:暗殺



―――その日。

異様な胸騒ぎを感じてベットから起き上がった切嗣。
時計を見る。時刻は深夜2時過ぎ。
切嗣以外の人間の多くはホムンクルスで占められているアインツベルン城。
夜中になると、彼女らは当直の人間を残しスイッチが切れたように眠りに就く。
この時間帯は警備のホムンクルス2体を残し、皆が寝静まっている頃である。

切嗣の隣で安らかな寝顔を浮かべているアイリスもその例に漏れない。
魔術回路内に警備の魔術を待機させているラエヴィとエンセータは
何かあったのならば起きだしているはずだが。

ベッドを降りて立ち上がると、切嗣は引き出しにしまっていた
ジェリコを腰に差し、対刃コートを身に纏う。
戦場に長く居た故の勘なのか、こうした嫌な予感は
大抵の場合は何らかのトラブルを伴って発生する。用心に越したことは無い。
襟元を整えると、ベッドで眠るアイリスの額を優しく撫でて微笑む。



「行って来るよ、アイリス」



部屋を出た切嗣はエントランス方向にあるラエヴィとエンセータの
私室へ向かい、部屋のドアをノックする。

「―――はい」

ドアを開けて出てきたのはラエヴィだった。
反応までに間が無かったところを見ると起きていたのか。

「衛宮様? どうしたのですかこんな夜中に」
「……ん。妙な胸騒ぎを感じてね。
何か無かったかと尋ねに来た」
「…………ふう。
相変わらずわたくしたちの事を信用していらっしゃらないのですね」
「その様子だと君たちの警備魔術にはなんの反応も無かったのか」
「ええ。今日の警備当直はわたくしですから。
結界の隙間も夜方には修復を終えましたし問題はございません」
「…………結界の、隙間?」

その言葉に不穏なものを感じて尋ねる。

「ええ、以前言いましたでしょう?
霊体防御の為に張り巡らした防御結界の穴です。
管理の手を入れているとはいえこの城も古いものですから、
霊脈のバイオリズムによって年に一度か二度、
網目に“隙”が出来てしまうことがあるのです。
その修復は夜に終えています。以降、城内での霊体反応や侵入者の形跡、
魔術攻撃の痕跡もありませんのでご安心を」
「………………」

なにか、嫌なものを感じる。
聖杯戦争が始まるまであと一月も無く、切嗣の腕にも
聖痕の反応が出始めている。
よりによってこの時期に隙間が発生するという
嫌な符号に戦慄を禁じえない。

「……無理を言うようで悪いんだが。
念のためにアイリスと聖杯に対して一人守りをつけてくれないか」
「…………衛宮様に予知能力の類は?」
「そんなものは無い……だが」
「……判りました。聖杯戦争の開始も近いですからね。
念には念を入れても良いでしょう。
アイリス様のほうにはわたくしとエンセータが直接。
聖杯の方には一人、警備の手を回しておきましょう」
「助かる」

ラエヴィはエンセータを起こすと警備の準備を始める。
胸騒ぎはまだ収まらない。

「僕は少し城内を歩いてみる。そちらは任せたよ」
「衛宮様に言われるまでもありません」

きつい反応に苦笑を浮かべ部屋を離れる。
さて、どうするか。
結界の隙間というのが少し気になるが……。
切嗣はエントランスへ向かい城の一階を回ることにした。

多層構造を持つアインツベルンの城には無数の部屋があるが、
ここに住んでいる人間は全員一階の部屋を使用している。
故に一階を回れば問題なく全ての警備箇所を見て回れるというわけだ。

夜の暗い廊下をコツコツと音を立てて歩く。
聞こえるのは虫の鳴き声と風に揺れる梢の音。
雲間から覗くぼんやりとした月の光が窓から廊下に影を落としている。
穏やかな夜だ。目を細め廊下の曲がり角を曲がろうとしたその時。


―――ボトッ。


足元に落ちてきた何か。何らかの断片。
窓が作る月の光に照らされたそれは、人の手のように見えて。


「―――――――――!!」


否、それは人の手だ。視線が腕に行ったその瞬間。
強烈な魔力が切嗣の頭上ではじけた。


グシャッ。


考えるよりも早くその場を飛び退いた切嗣だったが、
着地した床に滴り落ちる大量の血液。

「ごっ…………!」

口元から血塊を吐く。
喉を押さえる。皮膚の奥にはあるべきはずの感触が無い。
切嗣の喉は触れられた形跡も無いのに潰されていた。

「か…………か…………」

発声することも満足な呼吸を行うことも出来ずに、喉を押さえ苦しむ切嗣。
霞む視界を必死に整えて腰の銃に手を伸ばす。

―――ヒュンッ―――ダガッ!!

だが、何か重いものが切嗣の右腕に突き刺さり、
握りかけていた銃を遠くに吹き飛ばす。

上げた視線の先には―――白い面。


「――――――キ」


それがなんなのか、一瞬では判らなかった。
人の身の丈よりも長い両腕を持ち、夜に溶け込むように
黒い肌をした異形の影。それが―――天井にぶら下がっている。
短い方の腕は、目からダガーを生やし手を千切られたホムンクルスを抱え。
長い右の魔腕は―――再び切嗣に迫りつつあった。


「―――!」


―――グシャッ!!


それを避けようとバックステップを踏むが、
悪鬼の魔腕は切嗣に触れることも無く―――服の上から内臓を握りつぶす。


この間―――およそ三秒。


たったの三秒で切嗣は致命的なダメージを受けていた。
常人ならば絶命してもおかしくない
強烈なショックと意識混濁が身体に襲いかかる。
だが―――。

「…………っ…………く…………!」

切嗣は倒れなかった。目の前の敵をここで逃せば“どうなるか”、
切嗣自身が一番良く判っていた。
それだけは……許すわけにはいかない。

『……守ると……決めた。
アイリスを連れて……戻ると決めた……!』

口から多量の血液を吐き出しながら、満身創痍の切嗣は走り出す。
喉を潰され呪文詠唱も行えない。
銃を弾かれ攻撃手段も無い。
臓物を潰され満足に身体も動かせない。
それでも、のうのうと朽ち果てるわけにはいかないのだ。


「――――――キ」

白面の男は、半致傷を負ってもなお向かってくる目前の魔術師を
冷酷な眼差しで捉える。
悠々と構えた三本のダガー。それを音速を超える速度で投げ放つ。


ヒュオッ―――ダガガッ!!


ふらつく足では弾丸並みの速度で飛ぶダガーをかわせない。
ダガーの一撃を正面から受け、膝から崩れ落ちた切嗣は
地面に突っ伏しうつ伏せに倒れこむ。
脈打つ傷口から多量の血が流れ出し、体の下に血溜りを作る。


「―――キ」


床に降り立ち、歩き出す白面の男。
切嗣の様子から行動不能と判断したのだろう。
だが、その意識はまだ途絶えていなかった。
奥歯を噛み砕き、痛みに集中することで意識を維持すると、
相手が近寄ってきたところに一撃を叩き込む為、
突き刺さったダガーを右手で握り締める。

やることは一つだ。この男を、ここで確実に殺す―――。


近づいてくる足音。必殺の機を逃さぬため身体に力を溜める切嗣。
後一歩、あと一歩でダガーを叩き込める。
その距離まで足音が迫った―――瞬間。



白面の男の気配は唐突に消えた。



『―――――――――!?』

慌てて顔を起こし、周囲を見渡すが男の気配は何処にも無い。
暗い廊下にただ一人、切嗣は殺されることも無く―――放置された。

「――――――ぎ」

歯を食いしばり、廊下を這いずる様に前へ進む。
魔術回路を回し、強制回復の術式を組み上げようとするが、
白面の男のダガーが霊穴を貫いたのか、魔力連絡が阻害され
再生は遅々として進まない。

血を流しながら必死で進む。
だが意識は薄れ混濁してゆき、視界はどんどん暗くなる。
遠くから聞こえてくる戦いの音。
戦っているのは―――ラエヴィとエンセータだろうか。
その音すら徐々に……胡乱になっていく。

そうして―――一歩も動けなくなり。
広がっていく血溜りの暖かさすら胡乱になっていく中で、
切嗣は眠る愛しい人の姿を強く思い浮かべる。


『…………アイ…………リス……』


強い無念と強烈な痛みの中、常時戦場の理を失いつつあった魔術師殺しは
―――敗北した。



家政夫と一緒編第四部その2。Interlude8-2。
真の暗殺とは一瞬で行われるもの。
気配を消し、機を見、敵の手を知った上で成されるそれは、
どんな達人であろうとも防ぎようがない。

―――大切な人を守ると決めた魔術師殺しは
成すすべも無く敗北した。
そうして―――。