Interlude8-1:業



―――ザザッ、ザッ。


そこからはそれまで以上に荒い映像。
視界の端々に墨をぶちまけたように暗い映像。


風の渡る庭を花々と戯れながら嬉しそうに歩くアイリス。
それを後ろからのんびりと追う切嗣。
穏やかな午後を過ごす彼の表情は、険しかった今までが嘘のように
優しく暖かなものだった。

風景は移る。
書斎でのひと時。魔術知識の交換や礼装の制御法、
物語についての語らい。
イリヤに見せたらきっと喜ぶでしょうねと、グリム童話を見て
眉をひそめるアイリスを、苦笑しつつ見つめる切嗣。
切嗣自身も好きな落語を披露しては首をかしげるアイリスを見て
項垂れたりと楽しそうにしている。

城の中の散歩。
展示してある絵画や彫刻等のうんちくを披露しながら
歩くアイリスを苦笑しながら追いかける切嗣。
その風景の中に聖杯の器らしきものも現れ、
深刻そうな顔で話す場面も見られた―――。



―――そうして、晩夏の夜。
ベットに座るアイリスは、曇る空を寂しそうに見つめている。

「アイリス、もう眠らないと体に響くぞ」
「…………切嗣、日本には四季があると聞きました。
春には花が咲き、蝶が舞う。夏には入道雲が浮かび、蝉が鳴く。
秋には美しい月が中天に昇り、虫たちが囀る。
冬には雪が降り積もり、野山は白く染まる。
……でも……この森の太源の影響なのでしょうね。
アインツベルン城の空はいつも曇っていて、
見える風景は同じものばかりです」
「…………突然どうしたんだ、一体?」

アイリスが纏めた“鞘”に関する資料を閉じると、
切嗣はベットに腰掛けアイリスの隣に座る。

「……ふふ。
私は、変わるものが見たかったのです」
「……変わるもの?」
「はい。本城の景色はいつも、
雪に覆われた銀の世界でしかありませんでした。
お館様も、私も、そしてイリヤも。その風景しか知りません」
「…………ふむ」
「私たちアインツベルンは途方も無い時間をかけて、
一つの現象を追い続けてきました。
はじめは魔術の果てに何があるのか、知りたいだけだったのでしょう。
その内に大義が芽生え、いつしか自分達の行いが人をより良い存在へと
昇華させるのだと、理想を夢見て歩き続けました。
……そうして、今は。
ただただ聖杯の完成を求めるだけの概念に成り果ててしまいました」

そう言って少しだけ寂しそうに目を伏せるアイリス。

「例え人外の業を極め、寿命など無いも同然の技術を手に入れたとしても、
人の心は同じものを同じ志を保ったまま追い続けられるほどに強くはありません。
だから私たちは……変わる必要があるのではないのかと。
様々な形の中で願いを確認していく必要があるのではないのかと。
そう思うのです」
「…………変わる、か」

アイリスの言葉は少しだけ変わった切嗣自身に強く響いた。
どれだけ正しい理想を抱いていても、綺麗な想いはいつかくすんでゆく。
憧れは壊れてゆくものだ。
そうした想いの磨耗を、視点を変えることで
正しく認識しなおすのは確かに……必要なことかもしれない。

「だからね、切嗣。
私は多くのものを見て、伝えてあげたいのです。
銀色の風景だけが世界ではないのですよと、伝えたいのです」

そこで再び眉を寄せる。

「でも……苗床に取り込まれる情報の殆どは魔術知識ばかり。
映像記憶の多くは記録されるだけで“想起”されることはありません。
だから、私が滅びてしまえば意味を失う映像。
本当は見て回ることに意味など無いのかもしれないけれど……」
「……アイリス……」
「でも、もし本当に帰ることが出来るのならば。
アインツベルンの次を担うイリヤだけにでも、
私の想いや美しい風景の記憶を伝えられたらなと。そう思うのです」

そう言って儚く笑うアイリスの顔を、少しだけ眉を寄せて見つめる切嗣。

「……君は聡明で前向きだが、根は悲観的な人間だな」
「…………え? 悲観的……ですか?」
「約束したろう、一緒に帰ろうと」
「…………あ。……ごめんなさい……」

自分の失言に気が付いたのかしょんぼりと項垂れるアイリス。
切嗣は苦笑一つ浮かべると彼女を抱き寄せる。

「あ…………」
「いいさ。未来が信じられないのならば、その場所に辿りつくまでだ。
僕は君を守る。君を幸せにしたいと思う」
「……切嗣……」
「君が思うように多くのものを見て過ごそう。
君が幸せだと思う事をして過ごそう。
そうして積み上げたたくさんの想いはきっと……
生きていく力に変わるはずだ」

積み重ねた負の業が切嗣を生かし続けてきたように、
幸福になるための想いも、積み重ねれば未来へ繋がる力になるはずだ。
未来が信じられないのならば積み重ねればいい。
そうして積み上げたものが明日を走る原動力になるだろう。

「……はい。
ふふ……切嗣は変わりましたね。
以前の貴方も素敵でしたが、今は……その何倍も素敵です」
「…………そうかい?」
「はい」
「そうか……ふむ。
ではどの辺りが素敵なのか、教えてもらえるかな」
「……え?
ど、どの辺り……ですか?」
「そう、例えば顔のどの辺りが素敵なのか
……教えてくれるかな?」

アイリスの目をじっと見つめて囁く切嗣。
頬を朱に染め、アイリスも切嗣を見つめ返す。
徐々に近づく二人の吐息。

「ええと……目が……素敵です」
「……それから?」
「……うう。鼻も……素敵です」
「……それから?」
「…………切嗣、私を困らせて楽しいのですか?」
「…………それから?」
「……その……唇も……素敵ですよ」
「ふ…………ありがとう」
「……あ…………ん……」

待ち望んでいたように彼女の唇を奪う切嗣。
初めて交わした口付けはとてもとても甘いキス。
触れるように交わした優しいものだった。

そのままアイリスを優しく押し倒す。
硬く強張った体を解きほぐすように白磁のような頬から首筋を撫でる。
ゴツゴツしていて、けれど暖かい切嗣の手に
アイリスはいとおしそうに頬を寄せると、
潤んだ瞳で切嗣を見つめる。


「…………切嗣」
「アイリス……君を愛している」
「私も…………愛しています」


再び近づく二人の唇。
だがその時。


―――ドンドンドンッ!!


「アイリスさまっ! おられますか!」
「……おられますか」
「――――――!」
「――――――!
ラ、ラエヴィ、エンセータ?」

扉が激しく打ち鳴らされ、騒々しい騒ぎ声が響き渡る。
天を仰いでベットから下りる切嗣。
それと同時に部屋に入ってくる二人のホムンクルス。

「夜分遅くに申し訳ありません。
城の防衛結界に関して少々申し上げたいことが……!」
「そ、それは今でなくてはいけないのですか?」
「防衛魔術に穴があればアイリス様を守れなくなってしまいますっっ!
急務です、これ以上に優先されることなどございませんっ!」
「……ございません」
「…………わかりました。
その……切嗣。気を悪くなさらないで……」
「あ、ああ……。もちろんだとも」

苦笑いを浮かべながら扉へ向かう切嗣。
扉の前に陣取るラエヴィに、すれ違い様に声をかける。

「……狙ったな。たいした忠臣ぶりだホムンクルス」
「……そちらこそ、油断も隙もありませんね。
―――ですが、嘘ではありません。今日のところは自室にお引取りを」
「――――――?」

その言葉に引っ掛かりを覚えたが、防衛魔術に関しては
切嗣が口出しをしても邪魔になるだけだろう。
足早にアイリスの部屋から出て行く切嗣。今日のところは部屋に戻ろう。



―――ああ。
思えばそれがきっかけだったのか。

自らの言葉どおりにアイリスとの幸せな思い出を積み重ねていこうと
決意する切嗣。想いは重ねれば重ねるだけ、未来への力になる。


けれど。


幸福もまた、業の一つ。
正も負も裏返したものに過ぎない。
重ねた想いもまた耐え難い重さを持つことを、
このときの切嗣は知る由も無かった―――。



家政夫と一緒編第四部その1。Interlude8-1。
穏やかな日々。
聖杯戦争が始まるまでの一時を惜しむかのように過ごす二人。
その時間は魔術師殺しにとって……最後の。
穏やかな時間となる。