決戦の地へ
三人の気配に向かって林の中を走るアーチャー。
獣並みの聴力は遠くから走ってくる小さな足音を明確に捉える。
「あーちゃーーーーーー!」
「あーちゃーさぁんーーーーー!」
霧の中から駆け出てくる凛と桜。
アーチャーは膝を付くと飛び込んでくる二人を抱きとめる。
「……良かった。無事か、二人とも?」
「う、うん。だけど、だけど、とうさんが……」
「あーちゃーさん、おとうさんが……」
「……!?」
涙目でしがみついてくる凛と桜を抱きかかえると、
アーチャーは二人の案内で木の根元で倒れている時臣の下に駆けつける。
「遠坂時臣…………!」
左腕を失い、木に背を預けて項垂れている時臣。
慌てて彼の体調を調べるが、脈は弱いものの呼吸は正常であり、
既に魔術刻印による自動回復が始まっているようだった。
「……ふう。
安心しろ、時臣氏は無事だ」
「ほんと……?」
「ほ、ほんとですか……?」
「たわけ、こんなことで嘘をついてどうする。
魔術師は案外頑丈に出来ているんだぞ」
そう言って安心させるように二人の頭を撫でる。
それで緊張の糸が切れてしまったのか、わんわんと泣き出す二人。
無理も無い、アーチャーですら生き残れるかわからない
ギリギリの戦いだったのだ。
二人が感じた恐怖は並大抵のものでは無かった筈。
もう終わらせなければならない。
「…………アーチャー……か?」
そうして二人を慰めるアーチャーの耳に時臣の声が届く。
大きな泣き声で目が覚めたのだろう、空ろな目線が三人を見つめている。
「大丈夫か、遠坂時臣」
「……生憎良いとはいえない状態だな。
もう眠れと魔術刻印が五月蝿い」
「ならば無理をするな。休む場所は……む」
遠坂邸を振り返り唸るアーチャー。
炎を上げる遠坂邸はとてもではないが休める場所ではない。
「……私の事は心配するな。
それよりも……意識が落ちる前に聞け、アーチャー」
「……? なんだ」
「大聖杯に関して……だ」
「―――!?」
訝るように時臣を見つめる。昨晩は全くといっていいほど
取り合ってもらえなかった話題だ。如何なる心境の変化が在ったのか。
「柳洞寺の地下に大空洞があるのは知っているな?」
「……ああ。位置の見当も概ねだがついている」
「さすがだな……。
洞窟の入り口は柳洞寺の石段から東へ、山に沿って進み、
岩盤が露出した清水の流れ出る場所にある。
入り口には侵入者避けの幻覚魔術が敷いてあり、
一見入れないように見えるが……そのまま進め。
狭い横穴を通り抜ければ大空洞に到着できるはずだ」
「…………」
「もう一つ。結界起動のついでに冬木の霊脈を探ってみたのだが……
柳洞寺周辺の霊脈が異常に活性化していた。
儀式準備が完了している可能性がある。
気をつけて進め……聖杯は既に敵の手の内にある」
そこまで言い終えると時臣は背後の木にもたれ掛かる。
「―――どういう心境の変化だ、遠坂時臣」
訝しむアーチャーの顔を見ると、目を瞑り、自嘲気味に微笑む時臣。
「アーチャー、冬木大橋の袂でおまえは私に言ったな。
一人では、誰も救うことは出来ないと」
「………………」
「……その通りだ、アーチャー。
どれだけ守りたいものがあっても、守りたい人間の意志を無視して
守りきることなど出来ない。
……例えそれが、どれだけ良かれと思ってやっていることでも……
望まれぬやり方で、大切な人を守ることなど出来ない」
「…………」
その言葉は、アーチャーの中にある“何か”に突き刺さる。
良かれと思っても、それが守るべき人の幸せに繋がるとは……限らない。
考え込むアーチャーを置いて、時臣の目線はアーチャーから凛と桜へと移る。
「……とうさん」「おとうさん……」
「……済まなかったな。
私は……私の願いをお前達に押し付けようとしていた。
お前達が望む未来を……叩き潰そうとしていた」
「そんなこと……」
「おとうさん……」
「悔しいが……私にはもうおまえ達を守りきる力は残っていない。
だから……アーチャーの言うことを……良く聞いて。
おまえ達が望む未来を……叶えなさい」
「……っ……」
「……っ」
「……大切なものを見つけたのなら……決して手を離すな。
そうして進む限り……どんな未来だって掴むことが出来る。
おまえ達は……私の自慢の……娘なのだから」
「とうさん……っ」
「あうう……おとうさぁん!」
抱きついてくる娘達を片方だけになった腕で優しく抱きとめる時臣。
その顔には幾ばくかの無念と……大きな慈愛が浮かんでいた。
「遠坂……時臣…………」
「アーチャー……済まないが……娘を……守ってやってくれ。
これは……餞別代りだ」
そう言って親指大の宝石を懐から取り出すと、
短い詠唱を行い、手のひらをアーチャーの右手に向ける。
暖かな波動と共に、右腕に僅かな感覚が戻ってくる。
「これは…………」
「宝石に注ぎ込んだ魔力を開放し……霊体の破損部位に充てた。
所詮は……応急処置。霊体治療とまでは……いかないが……。
少しは……マシになったはずだ……。
後は……頼ん……だぞ………………」
そう言うと掲げた腕を地に落とし、意識を失う時臣。
治癒の魔術に残された精神力を使い切ったのだろう。
「ぐすっ……とうさん…………」
「おとうさん…………」
戦い終えた父の姿を、涙を拭いながら見つめる二人。
その視線は心なしか……誇らしげに輝いていた。
「君たちの父親は……偉大な男だな」
「……うん。とうさん、だいすき!」
「はいっ。わたしも……だいすきです!」
その時、静寂に包まれていた林が俄に騒がしくなる。
時臣の意識断絶と共に遠坂邸を守っていた結界が消滅したのか、
遠くから聞こえる無数のサイレン。
アーチャーは外套を時臣の肩にかけると、凛と桜の前に
しゃがみこむ。
「…………?」
「……どうしたんですか?」
「……ここから先はきっと、厳しい戦いの連続になる。
君たちにもそれなりの行動を求める時が来るかもしれない」
「……うん」「……はい」
「……前以上に……君たちに対して……その」
「……?」「……?」
「恐ろしい姿を……見せることになるかもしれない」
ほんの少しだけ眉を寄せて二人を見つめるアーチャー。
言ってしまって後悔する。ああ、何を今更。
どうやら……二人に恐れられるのが、怖くてしょうがないらしい。
そんなアーチャーの内心を見透かしたのか、
ぎゅう、と二の腕に抱きついてくる二人。
「……だいじょうぶだよ、あーちゃー」
「……しんじてますから。
あーちゃーさんは、わたしたちのあーちゃーさんだって」
その暖かさが臆病な心に染み渡る。
ああ、つまらない質問をしたものだ。
自身の愚かさに苦笑する。
「……愚問だったな。忘れてくれ」
「くしし……んじゃかえってきたらチョコパフェね!」
「わたしはストロベリーアイスがいいです!」
にっこりわらって抱きついてくる二人。
……その願いを叶えられるかどうか。今はわからない。
それでも出来うるならば―――どうか。
『どうか……ほんの僅かでも。
優しいマスター達に別れを告げる時間を』
神は信じない。だから自らに誓う。
胸を張って笑顔で別れを告げよう。
その為に―――絶対に、勝利するのだ。
「ああ。華麗な勝利を収めて、胸を張って帰ってこよう。
そうしたら凱旋祝いだ。凛、桜」
「―――うんっ!」
「―――はいっ!」
眠る時臣に別れを告げ、三人は遠坂邸を後にする。
いよいよ最終局面を迎えた聖杯戦争。
決意を新たに弓兵の主従は、古の魔術が眠る龍の腸へと走り出した。
家政夫と一緒編第三部その50。第三部最終話。
前哨戦は終わり、舞台は柳洞寺へ。
幾多の夢を飲み込み肥大した龍は、
なおも願いを捧げよと魔術師達を招き寄せる。
その地で待つのは希望か、それとも―――。