霧
「おおおおおおおおおおお!」
ダガガガガガガガッ!
絞られたアサルトライフルの引き金。
爆ぜる銃火が、霧に煙る暗い林を明るく照らす。
如何な達人とてこの距離で放たれた銃弾をかわすことは出来まい。
―――だが。
銃弾は遠坂時臣の身体を通り抜けて屋敷の壁に突き刺さる。
「――――――!?」
驚き目を見開く切嗣に対し、目前の魔術師は銃弾を受けてなお
平然と間合いを詰めてくる。見るも特殊な歩法―――確か
八極拳打・沖垂だったか。
着地と同時に行われる練りに練られた美しい纏絲勁が
人の拳を暴虐なる凶器に変える。銃弾に必殺の意を込めていた切嗣は
無論、その一撃をかわせない。
―――ドスンッ。ボバッ―――!!!
「――――――がっ」
胸に打ち込まれた必殺の発勁が内腑を蹂躙する。
まるで胸に大穴が開いたかのような衝撃にとても立っていられず、
膝から地に落ちる。
「あっ…………が」
打ち上げられた魚のように口をパクパクとさせる切嗣。
肺を潰されたのか、呼吸がままならない。
このままでは拙いと、身体の内側に眠っていた“魔術礼装”に魔力を回し、
再生能力を起動させるが―――肺の修復は始まろうとしない。
『なんだ……!?』
自分の身体はそこまで壊れているのか。
背筋を凍りつかせる切嗣の喉に、時臣のつま先が突き刺さる。
「ぐっ…………!」
咄嗟に割り込ませた左腕のおかげで直撃こそは避けられたが、
脳を貫く衝撃に一瞬意識が飛びかける。
とにかく動かなければやられる。蹴り飛ばされた勢いのまま
膝立ちで後ろに倒れると、手放さなかったアサルトライフルを発射する。
閃くマズルフラッシュ。狙いもつけずに撃った為か、
弾丸は敵を捉えることなく土ぼこりを上げるのみ。
だがその一撃を警戒してくれたのか、遠坂時臣はバックステップを
踏むと宝石魔弾を投擲してくる。
「―――
カッ!!!!
炸裂する宝石魔弾。
発生した爆風により吹き飛ばされる深い霧。
「……っ……っ……」
その様子を20メートルほど離れた茂みの中で観察する切嗣。
外圧抑制も行わずに固有時制御を使ったため、体中が嫌な音を立てている。
その上、攻撃発生時の爆風を後退に利用したため、ダメージも大きい。
対する遠坂時臣はかき消えた切嗣の姿を探し首をめぐらせている。
あの不可思議な防御手段によほどの自信があるのか、隠れようともしない。
忌々しげに奥歯を噛み、予想よりも大きな戦力差に睨む眉をひそませる。
遠坂時臣の攻撃力は強大なものだ。
強力な魔術攻撃に加え、超接近戦では熟練した格闘攻撃が待ち構えている。
切嗣も近接戦闘において独自の技術体系を持つが、
同じ壇上で勝負を挑めば手ひどい逆襲を受けることになるだろう。
そして最も厄介なのが銃弾を透過する奇妙な現象。
あれの正体が判らなければ手の出しようがない。
傷のこともあり、戦況は限りなく劣勢だった。
『―――っ……しかし……
何故直らない…………!』
胸を押さえながら苦しげに息を吐く切嗣。
呼吸を苛む肺のダメージ、皮膚を焼く酷い火傷。
薬のお陰で痛みこそ無いが、傷の修復の為先程から
“魔術礼装”に魔力を送り続けているのに、再生が始まらない。
冬木大橋での戦いのときも完全な修復が出来なかったが、これはそれとも違う。
再生自体が働いていないのだ。
『どういう事だ……これが遠坂の結界だとでもいうのか……?
宝具の力を上回る遮断結界など聞いたことが無い』
切嗣の体内に眠る魔術礼装は特級の蘇生宝具だ。
世界の何処を探してもこれ以上の宝具は現存せず、
またこの宝具の力を遮断できるものも存在しまい。
『……逆に、考えろ。こいつを無効化できる結界などあるはずが無い。
だとすれば一連の現象は他のからくりだ。
結界は結界、一つの目的を以って内と外を異なる理に分ける“区切り”の術式。
ならば全ての現象は一つの答えで表せるはず……』
切嗣の脳裏に走る過去の風景。
積み上げてきた膨大な戦闘経験から、今の状況をすり合わせ、
最も解答に近い事例を探し出す。
異常は異常、理解できない現象が起こったのならば、そこには必ず
何かが隠されているはずなのだ。
―――書斎より投げつけられた手榴弾。そして書斎に投げ入れた手榴弾。
あのタイミングでは高速詠唱を以ってしても魔術で防ぐことは不可能。
防げないのならばそこで死んでいるはず。だが遠坂時臣は生きている。
ならばそれはありえないこと、そこには居なかったと考えるのが必然だ。
ではあの手榴弾を投げた手はなんだったのか。
―――銃弾を透過する現象。
もしそこに遠坂時臣がいたのならばあんなふうに銃弾が突き抜けることは無い。
つまり彼はそこに居なかった、そう考えるのが妥当だ。
では居ない人間がどうやって切嗣にダメージを与えたのか。
―――働かない魔術礼装の意味。
傷を負えば修復する魔術礼装。表面的な傷であれば瞬時に修復する
“これ”が全く働かない。しかしそれはありえないことだ。
ならば魔術礼装が働かない理由とは―――なんだ?
『―――そうか……!』
推理と事例のすりあわせを終了させた切嗣は
慌てて周囲を見回す。大気中に漂う多量の“それ”。
ああ、異常など最初からあった。
何故それをおかしいと思わなかったのか―――。
『―――くそっ……!』
茂みの隙間から遠坂時臣の姿を探す。思考に使った時間は3秒ほどだ。
だが―――その一瞬で、遠坂時臣の姿は忽然と消えうせていた。
とにかく動かなければ拙い。
慌てて立ち上がる切嗣の真正面に、忽然と現れる魔術師の姿。
「―――っ!?」
あまりの事に目を見開く切嗣に目前の男は笑いかけ、その口をこう動かした。
『気 付 い た な』
―――ゾワリ。
背筋を這い登る悪寒。切嗣の周囲を漂っていた“霧”から
明確な殺意が迸る。
そうだ、それがおかしかった。
ここ数日は秋晴れが続き、からからに乾いた良い陽気だったのだ。
こんなにも深い霧が、
『―――っ、馬鹿が……!
屋敷の中に靄がかかっていたじゃないか…………!』
粉塵でも埃でもなく、靄。
いくら全ての窓を吹き飛ばしたとはいえ、
屋敷の中に靄が浸食するにはあまりにも時間が無さ過ぎた。
そう、この霧は―――否、この霧こそが遠坂時臣の結界。
―――ビュアッ!
「―――くっ!」
繰り出された遠坂時臣の抜き手をアサルトライフルを盾に防御しようとするが、
まるで引っ掛けるかのように振るわれた高速の抜き手―――蟷螂手が
銃を引き落とし、逆手の拳打が切嗣の頬に伸びてくる。
コンマの迷いもなくライフルを諦めるとその一撃を半歩身を引くことでかわし、
アームマウントに収めてあるジェリコを右手に装填する。
シャカッ―――ドガドガドガ!!
恐るべきクイックドロウにより放たれる儀式聖別弾。
切嗣の殺意を受けて放たれた対霊体・対魔術弾は、
行過ぎようとする時臣の体を正確に“打ち抜く”。
同時に、霧に溶けるように消えてゆく魔術師の体。
今倒したのは現実の遠坂時臣ではない。
これは魔術。
極めて現実に近いリアリティを切嗣の“脳内”に作り出す幻覚の魔術。
―――そう、遠坂時臣はどの時点からなのかは判らないが、
切嗣の前に姿を現してはいなかった。
切嗣が相手にしていたのは切嗣自身が作り出した幻覚。
居もしない虚構の遠坂時臣だった。
床を穿つことが無い手榴弾も、ただの鉛弾が当たらない事も、
再生魔術が働かなかったことも、それで説明がつく。
切嗣は遠坂時臣が仕掛けた幻覚魔術の影響下に囚われていたのだ。
「ちっ―――」
ジェリコを構えると茂みを越えて走り出す。
視界はすっかり霧の海。10メートル先ですらまともに捉えられない。
しかし、この濃度もきっと幻覚によって作り出されたものなのだろう。
切嗣は相手の術中に完全に填まり込んでしまっていた―――。
家政夫と一緒編第三部その43。
魔術師殺しと呼ばれる衛宮切嗣。
ありとあらゆる魔術師の天敵である彼は、戦闘に対する
驚異的な天性を以って敵を打ち破ってきた。
危地における判断力と思考スピード。
魔術に対する強力な嗅覚。そして人外の思考魔術“固有時制御”を
戦闘で使いこなす天才性。
それは対魔術師戦闘に特化した恐るべき才能だ。
だが―――そこは既に柵の中。遠坂時臣が作った処刑場の中だった。