Interlude7-4:かけがえの無い人の為に



部屋の前から二つの気配が遠ざかるのを感じる。
切嗣たちに気を利かせたのだろう。
心のうちで礼を一つ、切嗣はアイリスと向かい合う。

「……我侭なお姫様。
僕は君の事を愛してはいない」
「…………っ」
「そも僕には誰かを愛したり、守るなんていう、
大層な主張を掲げることは出来ない。
知っているかい、アイリス? 僕がなんと呼ばれているのかを」
「…………魔術師、殺し」
「……その通り。
僕は人殺しが生業の下種な男。全ての魔術師の敵だ。
そして、その標的は君達すらも例外じゃない。
僕は魔術を憎む者。魔術を扱うものにとって脅威となる存在だ」
「………………」

そこで言葉を区切り、アイリスを見つめる。
さしたる動揺も無く、切嗣を見つめる紅玉の瞳。
揺らがない二つの眼はただ粛々と灰色の言葉を待っている。

「だからね、アイリス。
僕は君と共に生きることは出来ない。
僕が背負った業から君たちを守れるとも思えない。
だから―――」

君達とはお別れだ。

そう言葉を継ごうとした切嗣の手を、細くて折れてしまいそうな
小さな手がぎゅう、と握る。

「……だから、居なくなると。
イリヤも私も捨てて、何処かへ行くというのですか」
「………そうだ」
「……切嗣、先ほど正直でいてくれると答えてくれましたね?
だから……私の問いにも正直に答えてください」
「……なんだい?」
「貴方は魔術を憎むといいました。
では、イリヤも、そして……私のことも。
憎んでいるのですか?」

悲しそうに眉を下げ、切嗣を見つめながら言葉を紡ぐアイリス。
何もかも見透かすような美しい瞳に気圧され、息を呑む。


「…………憎んで、いるよ」
「……嘘。
嘘はつかないと言った筈ではないですか」


とてもとても、悲しい声。悲痛な声色が切嗣の胸に突き刺さる。
ああ、憎んでいるはずが無い。彼女達には罪など無い。
冷酷でいたずら好きなイリヤ。強情で子供っぽいアイリス。
良いところばかりとはいえないけれど、
純粋で優しい二人のことを憎めるはずが無かった。

「切嗣、私は…………」

切嗣の手を握る力を強めて、アイリスは振り絞るように言葉を紡ぐ。
その声色は、まるで泣いているかのよう。

「愛して、もらえなくてもいい。
好きになって、もらえなくても良いのです。
私はただ、貴方の笑った顔が見たかった」
「…………僕、の?」
「初めて会ったときから、
貴方は何処か悲しそうな笑顔を浮かべていました。
自分のことで精一杯だというのに、それでも私の為に
一生懸命笑ってくれました。
だから、本当の意味で貴方が笑ってくれるのなら。
それはとても幸せな事なのではないかと……そう思ったのです」
「………………」

完璧な演技など、出来ていなかった。
アイリスにははじめから、切嗣の笑顔が何処か空虚なものだと
勘付かれていたのだ。

「一緒にいる時間が作れたら、いつか笑わすことも出来るのではないかと、
貴方と過ごす時間を作ろうと頑張りました。
けれど……貴方は私を笑顔にすると、すぐに何処かへ行ってしまう。
それが悲しくて……どうしたら切嗣を笑顔に出来るのだろうと
一生懸命考えました」
「………………」
「でも、いい案なんて一つも出てこなくて。
イリヤと一緒なら私とも遊んでくれるかしらと思っていたけれど、
貴方はいつも私のことを除け者にしてばかり。
だからいつものように、貴方が私を笑わせてそれでおしまい。
……イリヤにも笑われてしまって、とっても恥ずかしかったのですよ?」

それは自業自得だろうとも思うのだが、あえて口は挟まなかった。


「だから―――。
貴方が冬木に向かうと聞いたとき。
私もついていこうと思ったのです」
「――――――?」


話が繋がらない。
今の話だと―――この冬木にならば切嗣を笑わすことの出来る何かが
あるという事になる。

「……待て。
アイリス、君は…………聖杯戦争に参加するために、ここに来たのだろう?」
「いいえ、違います。
言ったでしょう切嗣。私は貴方を救いたい。
その為に―――ここに来たのだと」


それは、ありえない返答だった。


聖杯に到る魔術回路として作られたアイリスは、聖杯回収後、
ただの魔術回路としてアインツベルンに“回収”されるのが運命の
道具に過ぎない。

だから切嗣は思ったのだ。
身体機能が貧弱で戦闘行動に耐えうる体ではない、ある意味失敗作のアイリス。
イリヤの魔術的育成や、親代わりを名目にしてアインツベルンに
残る選択肢も少ないながらに存在した。
それを蹴って切嗣についてきた以上、
その使命に殉じる事を決意したのだろうと思ったのだ。

けれども、アイリスはただ切嗣を救うためにこの冬木へやって来たと言った。
自らが滅びることを良しとしても切嗣を救いたいと―――そう言ったのだ。


「馬鹿な―――アイリス、君は“ひとり”しか居ないんだぞ?
君たちユスティーツァ”は作れても……
イリヤを想う“君自身アイリスフィール”の心は、全て消えてしまうんだぞ……!」
「……それは悲しいことだけど……でも貴方を失うよりもずっとマシです。
貴方は世界にただ一人、かけがえの無い大切な人だから」
「…………っ」


馬鹿な自己犠牲、どうしようもない程に頑なな想い。
目前の聖女はあまりにも―――歩き始めた頃の切嗣に似ていた。

誰かの為にと自分のことを置いてきぼり。
こうと決めればそれが一番だと走り続け。
結局、後戻りの出来ないところまで来てしまう。


「だから、私は貴方を救いたかった。
笑って欲しくて、幸せになって欲しくて。
そうして、イリヤと一緒に生きて欲しかった。
でも、ようやく叶いそうです。あなたの為に―――頑張りました」
「…………え?」

そう言うとベッドの上のアイリスは切嗣に向かって両手を広げる。
抱きしめて欲しい、ということなのだろうか?
無視するのもどうかと思うのでその背中をぎゅうと抱きしめてやる。

「………………」
「………………」
「あ、ち、違います。
そういうことではなくて、抱えてくれませんか、と思って……その」
「……これは失礼」

背中と両足に手を通してお姫様抱っこの形でアイリスを抱えあげる。
あまりの軽さに罪悪感を抱くが、表には出さない。

「それで何処へ行きたいのかな?」
「中庭までよろしいですか」

アイリスを抱えて部屋を出る。
切嗣が中庭の扉の前に辿り着くと、廊下に控えていたのだろうか、
ラエヴィとエンセータ、二人のホムンクルスが現れる。

「……別段、貴方の為にやったわけではないことを
承知の上でご覧ください」
「……ください」
「……?」
「ラエヴィ、エンセータっ」

眉を寄せて二人を睨むアイリス。
二人のホムンクルスは一礼すると、手が塞がり扉を開けられない
切嗣に変わって、中庭への重い扉を開いた。


ゴゴゴゴン…………ザアッ…………。


吹き込む初夏の風。
風に乗り運ばれてくる芳しい香り。


「―――これは」


そこには、美しい庭園が広がっていた。



家政夫と一緒編第三部その39。Interlude7-4。
そこにあったのはアイリスの気持ち、その全てだった。