Interlude7-3:殺人者


―――二週が過ぎた。

月のきれいな初夏の晩。改修を終えてピカピカになった
古屋敷の廊下で空を見上げる切嗣。

今日はアイリスとの約束の日。
けれども、森へ向かうこと無くここにいる。

「………………」

嘘がばれた。
嘘は切嗣にとって真意をごまかすための擬態。
人と付き合っていくために必要な守りだった。
それが機能しなくなれば―――自ずと今までの関係は立ち行かなくなる。
誰かを憎み、誰かの影に怯え、理想を追い続けるだけの化け物として、
彼女と接しなければならなくなる。

それは、恐ろしいことだ。
憎悪は怯えを生む。
怯えは蔑みを生む。
化け物は―――恐怖を生む。

『冗談じゃない』

怯えられるのも蔑まれるのも恐れられるのも、辛く苦しいことだ。
切嗣にとって生きていくことは常にそうした感情を受け続けること。
人の心は強い負の感情に晒され続けて正常を保てるほどに強くは無い。

だからポーカーフェイスで武装してきた。
殺人者として生き、憎悪と猜疑に塗れ、周り中敵だらけだった彼にとって
これ以上に敵を増やさず生きていくためにはそれしかなかった。
仲良くならないように、嫌われないように、
必要な人間でありながら必要ではない人間であるように、
まるで―――道具のように生きてきた。

人々の間を幽霊のようにすり抜けていたあの頃は、それで良かった。
打算と利用価値だけの世界で生きていた頃はそれで良かったのだ。
ただ武器として生きているだけで、切嗣の理想は叶い続けていたのだから。


―――けれど。
アイリスとイリヤ、二人の優しい家族が、そのあり方を壊してしまった。

打算も利用価値も関係無く、ただ切嗣のことだけを思う二人。
自分だけを見つめて、追い続ける人間を
すり抜けることなど出来るわけが無かったのだ。


「………………」

月は煌々と灰色を照らす。

この空の下で、冬の聖女はいつものように
俯いて待ち続けているのだろうか。
切嗣が来るまで、じっと待ち続けるアイリス。
彼女は曲げない。切嗣が慰めてくれるその時まで、
その意思を絶対に曲げない。

「――――――」

顔を上げる。
切嗣の背に走る嫌な予感。
まさか、そんなことがあるはずが無い。
それでも―――切嗣の知るアイリスは、その強情さを一度として
曲げたことは無かった。

目を瞑れば思い出せるアイリスの俯いた顔。
怒ったり拗ねたり、子供のように頬をむくれさせたり、
その全ては切嗣の中に消えないものとして焼きついていた。

「………わかった。僕の負けだ、アイリス」

切嗣は私室へ向かうといつものコートを羽織り、車の鍵を取り出した。

悔しいけれど、もう気付いてしまった。だから否定することなど出来ない。
衛宮切嗣は、アイリスフィールという女性のことを放っておけない。
それだけは間違いの無い事実だった。



そうして、日が変わる前。
切嗣はアインツベルン城の前にいた。

「な……んとか……約束……を破らずに……済みそうか……」

強化を駆使して森を踏破した切嗣。
徒歩で4時間という長大な山道を1時間弱で駆け抜けたのだから
その健脚たるや凄まじいものであった。

城のエントランスを抜けると迎えのホムンクルスがやってくる。
その顔には怒気が登り、切嗣の予想が外れてはいなかったことを
伺わせた。

「―――すまない。アイリスは無事かい?」
「本来ならば会わせたくも無いところですが。
アイリスフィール様のたっての願いです。ご案内します」
「……ご案内します」
「ありがとう、ラエヴィ、エンセータ」
「―――!」「―――!」

自分の名前を呼ばれたことが意外なのか、
目を見開いて振り返る二人のホムンクルス。

アイリスの戦闘ホムンクルス、その一位と二位。
まるで友人のように、忠実な従者のように主につき従う彼女達は、
アイリスにとって最も頼りになる存在なのだろう。
彼女達の名前もアイリスが自分でつけたと聞き及んでいる。
ラエヴィガタとエンセータ、共にあやめ科の花で、
杜若と花菖蒲の学名である。
性格こそは全く違うが、同時期に鋳造されたため三人の体格はそっくりで、
姉妹みたいですよね? とアイリスが笑っていたのを覚えている。

「どういう心境の変化なのかは理解できませんが。
わたくし達は貴方のことを嫌悪しております」
「……嫌いです」
「―――構わない。
それだけのことはしてきたつもりだ。
謝罪が欲しいのならば謝ろう。すまなかった」
「………………」「………………」

頭を下げて謝罪する切嗣を気味悪そうに見つめる二人。

悪意も害意も好きなだけ向けてもらって構わない。
切嗣の魔術に対しての思いなどどうでもいい。彼女達の
機嫌を損ねれば最悪、会わせてもらえないこともありうるのだから。

「……似合わない事はお止めください。
主の命だといったでしょう。わたくしの仕事は貴方を
アイリスフィール様のところまで連れて行くことですから」
「助かる」

やはり気味悪そうに肩を震わせると、ラエヴィとエンセータは
どんどん先へ進んでしまう。

『やれやれ』

痛む足を引きずりながら切嗣は早足で行くホムンクルスを追いかける。



そして、城の中央部。
中庭扉に面したアイリスの部屋に到着する。
廊下を行く途中、中庭側の窓全てに目張りがしてあることに
不審を覚えた切嗣だったが口には出さなかった。

「アイリスフィール様。衛宮様をお連れしました」
「……………………え?
あ、あ…………だ、駄目です」
「……アイリスフィール様?」
「よく考えたらこんな格好で切嗣に会えません。
あと一時間いただけますか?」
「―――あと一時間待ったら、僕は約束破りになってしまうよ、
アイリス」

二人の制止を振り切り、扉を開け放つ切嗣。
部屋の中央にある天蓋付きの大きなベッド。
その上に、大きなクッションを背にしてアイリスが座っていた。

「女性の部屋に了承も無しに入るのは失礼でしょう、切嗣!」
「これは失礼。
とはいえ、我侭姫に付き合っていたら万事が万事回らないのでね」
「……もう」

困ったように小首をかしげ、眉を寄せるアイリス。
いつも通りの上品な仕草。けれど、その体調は一目見て酷いものだとわかる。
食事もろくにとっていないのか、柔らかく美しいカーブを描いていた
頬はやせて削げ落ち、顔色も良くない。
細くしなやかだった腕は、病的な程に細くなり静脈が目立っている。

それは、あの日見たアイリスの状態を酷くしたもの。
彼女を放置し、定期の眠りを放棄させたときに陥った衰弱の症状だった。


―――ギリ。


奥歯を、強くかみ締める。
彼女をこんなにまで衰弱させてしまったのは、間違いなく自分のせいだ。
この城でアイリスに逆らえるホムンクルスはいない。だからアイリスが
待つといえば彼女を止める手段は無い。
きっと体力の限界まで、いつものように俯いて切嗣をまっていたのだろう。
必ず慰めに来てくれると、そう信じて。


「来てくれると思っていました、切嗣」
「そうか」
「…………でも。
来てくれないかとも思っていました」
「……どっちなんだ」
「だって…………貴方は。
私のことなどきっとどうとも思っていないのでしょうから」

儚げな笑顔を浮かべてそういうアイリスを苦々しく見つめる。
胸の奥の真意に、一体いつから気付いていたのだろう。
聡い彼女のことだ、嘘を見破る前からうすうすと感じていたに違いない。

「だから、本当は不安でした。
私はきっと、男性にとって迷惑な女なのでしょう?」
「自覚はあるのか……」
「……うぅ。今日の切嗣は厳しいです」

肩を落とし俯いてしまったアイリスに苦笑いしながら、
切嗣はベッドの脇に腰を下ろす。

「……君にはもう、僕の嘘は通用しないだろうからね。
下手な誤魔化しはしないよ」
「では今日の切嗣は正直者なのですか?」
「そう、正直者だ。
だから正直者らしく、正直な気持ちを君に伝えるよ」
「……はい」

切嗣はアイリスの手をとり、優しく握る。
これ以上の誤魔化しは無理だろう。
アイリスを見捨てることが出来ない以上、彼女を傷つけないためには
和解か、それとも―――別れかしか、残されてはいない。

覚悟を決めろ。
切嗣は彼女に対して抱く、全ての想いを告白しようと決意した。



家政夫と一緒編第三部その38。Interlude7-3。
人を殺せば引き返せない憎しみを背負うことになる。
身を守るため、さらに命を奪えばより多くの憎しみを受ける。
また一つ、また一つ。
多くの罪が重なり続け、いつか男は笑うことも信じることも出来ない、
嘘の世界で生きていく事しか出来なくなっていた。