Interlude7-2:嘘



深山郊外の一角に建つ古い屋敷。
とある一件で管理人に気に入られこの屋敷を購入した切嗣は、
ここを基点に聖杯戦争に向けての行動を開始する。
冬木の地形調査や敵になるだろう相手の情報収集。
退避先や緊急用移動手段の確保に、
協力してくれる人間への根回しや、物資調達手段の確保と
やることを挙げれば枚挙に暇が無い。


「私にも何かできることは無いですか」

そうして忙しく過ぎる日々の中、約束の為に城へと戻り、
外庭に面したテラスでまどろんでいた切嗣は
アイリスにそう尋ねかけられた。

魔道の大家アインツベルンの聖女であるアイリス。
事魔術において彼女の知識に敵う人間が
この世界にどれ程いるのかはわからないが、
それ以外の分野―――特に戦闘やそれに関わる根回しの分野において
彼女ほどに疎い人間もまた稀である。

「君の仕事はここでおとなしくしていることだよ」

溜息一つ、椅子から身を起こすと
考えうる一番優しい声音で言葉を紡ぐ。

暗に、というか真っ向から役に立たないと言われたアイリスは、
さすがに気分を害したのか眉を寄せて俯いてしまう。
少々きつい言い方だったかと反省する切嗣だが、ここに来るたびに
何度も何度も断っているとさすがに語彙も尽きてくる。

『温室の花では嫌なのだろうな』

アインツベルンを出たあの日、アイリスが見せた決意の表情を
思い浮かべる。
“切嗣を救いたい”と言った彼女の言葉は、切嗣の力になりたい、
という意味合いなのだと今は解釈している。

だとすればアイリスにとって今ほどに苦しい状況は無いだろう。
そうありたいと願いながらも何も出来ない自分。
叶わぬものを追いかけ続けてきた切嗣にはその心境を推察できた。

「―――マッサージでも、してくれるかい?」

それ故にだろうか。
切嗣の口から出たのはそんな言葉。
彼女の前では波風の立たない対応に終始してきた切嗣が、
初めて何かをして欲しいと発した言葉だった。

「―――え?」

アイリスも切嗣からそんな言葉が返ってくるとは思っていなかったのだろう。
喜びというよりも意外そうな顔で切嗣の顔を見つめてくる。

「連日、各所への根回しでヘトヘトでね。労わってくれると嬉しい」
「……あ」
「―――衛宮様、それならばわたくし達が」
「………………」

呆けたように切嗣の顔を見つめるアイリスを見かねてか、
傍に控えていた二人のホムンクルスがそう言う。
当然だろう。冬の聖女にマッサージを頼むのだ。
御付のものとしてそんなことを主にさせるわけにはいくまい。

「あ、い、いいのですラエヴィ、エンセータ。
私が切嗣に頼まれたのです。私がやります」
「で、ですが…………!」
「………」

無言のままホムンクルス達を見上げるアイリス。
その迫力に気圧されたのか、二人は頭を垂らしテラスから退出する。
それを確認したアイリスは満面の笑顔を浮かべて切嗣のほうへと
やってくる。

「そ、それでどうすれば良いのですか」
「それでは肩を揉んでくれるか」
「は、はい」

安楽椅子から身を起こし背を向けた切嗣の肩に、
そっと乗せられる小さな手。
そうして、何の動きも無いまましばらくの時間が過ぎた。

「…………アイリス」
「あっ、はい」

振り向くと、白磁のように美しい顔を真っ赤に染めて俯くアイリスの姿があった。
体ががちがちに強張っているのが見て取れる。
マッサージを受けているのは、果たしてどちらであったか。

「……頼むよ、アイリス」
「は、はい、頑張ります」

溜息をついてそう伝えると、おずおずと肩をもみ始めるアイリス。
しかしその指はジャケットの上を滑るだけで切嗣の肩には届かない。

「もう少し力を入れてくれ」
「はい、これでどうですか?」
「……まったく変化が無いのだが」
「ま、まだ足りないのですか?
んっ、んっ! これでっ、どうですか!」
「多少はマシになったがもう少し力を入れてくれると嬉しい」
「そんな……。が、頑張ります」

まるで撫でるような肩揉み。
これでは石のように凝り固まった肩を癒すことは出来ないだろうな、
と思いながらも、その成果とは関係なく心のうちに温かいものが広がるのを感じる。

切嗣の為に一生懸命になってくれるアイリス。
アイリスが魔術によって生み出された命であることなど今やどうでもいいこと。
向けられる想いの暖かさが煩わしい訳が無かった。

では何故切嗣は未だに、こんなにも彼を愛そうとしてくれるアイリスを
遠ざけようとするのか。


―――誰かを、守ること。
大切な誰かを守ろうとする生き方は、“魔術師殺し”である切嗣には許されない。
多くの人間に憎まれ、命を狙われる切嗣にとって、守らなければならない
誰かを得ることは自他共に危険極まりない行為だ。

それ故に、誰とも交わらず生きてきた。
好きになることはあっても愛することを避けてきた。
それでも切嗣のことを愛し、共にいたいと思う人間は例外なく―――
命を落としてきた。

そんな人間には愛する資格も愛される資格も無い。
自身の勝手な生き方に巻き込んで、失われていい命などあるはずが無い。
呈のいい笑顔を浮かべて、中身の無いビジネススマイルで接することが
切嗣にとっての円滑な人間関係。その最良だ。

だからアイリスの気持ちには応えられない。
この暖かさに身を委ねることなど許されない。


―――そのはずだった。


『そう、だ…………僕は、何を』


「―――アイリス、もういい」
「んっ、んっ……え?」
「疲れたろう、手間をかけさせて悪かったね」
「あ…………」

そう言うと椅子から立ち上がり、コートを手に取る。

「あの……私のマッサージはどうでしたか?」
「とても気持ちよかったよ」

不安そうに聞いてくるアイリスに笑顔を返す。
いつもならばそれで微笑んでくれる彼女。
だが。


「…………嘘……ですね?」

アイリスはそう言って、紅玉のような美しい瞳を悲しみの色に染めた。


『―――な』

初めて―――嘘がばれた。
動揺の為か取り繕う仮面すら失い、
自分が一体どんな顔をしているのかを恐ろしく思う切嗣。

浮かべる色は果たして、同情か哀れみか、それとも―――嫌悪か。

悲しむアイリスを慰める事も無く、踵を返す。
一刻も早くここを去らねばならない。
嘘がつけなくなれば―――取り繕い続けてきた彼女への悪感情が露呈してしまう。

そうなれば―――そうなれば。
彼女をどれほどに、傷つけてしまうのか。


「切嗣っ」

立ち去ろうとする背中にかけられる声。
だが、その悲痛な声色にも振り返ることなく歩みを進める。

「再来週も、きてくださいますか?
必ず、来てくださいますよね?」

縋るように叫ぶアイリス。
だが、その問いに返る答えは無かった。



家政夫と一緒編第三部その37。Interlude7-2。
勝手に生きる自分だから、そのために誰かが傷つくことは避けていきたい。
だから嘘をつく。呈のいい笑顔で誰も彼をも騙して見せよう。
例え偽者の笑顔でも、それで笑ってくれるなら問題なんて無いのだから。

けれど嘘がばれた。
偽り続けてきた仮面がはがれた。
壊れかけた脆弱な心を嘘の仮面で繕い続けてきた男は
自分だけを見続ける真摯な視線に耐えられない―――。