Interlude7-1:我侭


ジッ―――ザザッ。


―――冬木市。
豊かな漁場を持つ自然豊かな港町。街の中心を通る未遠川によって
もたらされる美しい景観は冬木の魅力の一つであり、
維新後には多くの外国人居住者を抱える街に成長した。
だが近代へと時が経つにつれ外国人たちはその姿を消し、
2000年を間近に控えた現代、彼らが暮らしていた痕跡は
洋館が立ち並ぶ深山の景観にしか残っていない。
故に、

『聖杯戦争において拠点として使う陣地は洋館だろうな』

と想像していた切嗣が、森の奥深くに建つ城を見たときの様子は
彼の常時を知るものには想像できまい。


『……貴族の考えることは理解できない』

日本に来てまで城で生活という状況に疲れ果てた切嗣は、
退避先としても使えるセカンドハウスを買うことにした。

「―――切嗣?
何処へ行くのですか?」

着の身のままで正門から出て行こうとしていた切嗣に、なにやら
大きな袋を抱えたアイリスが声をかけてくる。

「冬木に別荘を買いに行く。退避先は必要だからね」
「……城から出て行ってしまうのですか?」
「む…………まあね」

その答えに胸を痛めたのか、持っていた袋を床に落とし俯いてしまうアイリス。
これが今生の別れというわけでもあるまいに、
まるでこの世の終わりだとでも言いたげな表情で
ドレスの裾を握り締める。
切嗣は溜息一つ、床に落ちた袋を拾う。

「落としたぞ、アイリス」
「………………」
「……ふう。
二度と帰ってこないわけじゃない」
「………………」

怒るわけでも泣くわけでもなく、
ただじっと堪える様にうつむき続けるアイリス。
憎まれることには慣れている。怒りをぶつけられれば
それがどんな性質のものであれ、穏便に受け流す自信がある。
けれども、アイリスのこれにはどうしても逆らえない。

アイリスという女性はその不満を表現するために、
ただ無言で切嗣の前に立つ。
切嗣が背を見せて歩き去っても、納得のいく答えが返るまでは
絶対に動くことはなく、例え命に関わる眠りの時間すらも
彼女を動かすことは出来ない。

あまりの強情ぶりに怒った切嗣が、一度だけアイリスを放置したまま
部屋で眠ってしまったことがあるのだが、その後の後悔を思い出すだけで
彼女に逆らう気は起きなくなってしまう。
ある意味、究極の我侭ともいえよう。

「どうして欲しいんだ」

その表情を見る限り長期戦になりそうだと解釈した切嗣は
早々に妥協案の提示を求める。

「出て行かないでください」
「それは駄目だ」
「クライアントの命令権を発動してもですか?」
「ここの対霊加工は完全だ。
君の侍従を含め戦闘用ホムンクルスも5人いる。
彼女達は戦闘のエキスパートだし、君も聖杯も守ってくれるだろう。
僕がいなくとも当面の危険は無い。
第一、契約事項にはこの城を本拠地に使うようにという
項目は無かったはずだ」
「ではどうしても出て行くと?」
「それだけは譲れない。
…………ああ、俯くな、悲しそうな顔をするな。
判った、一ヶ月に一度は必ず顔を出す」
「長すぎます。一日に一度です」
「……森の入り口からここまで歩いて何時間かかると思っているんだ。
ウォーキングの趣味は無い。では三週に一度」
「三日に一度」
「君は本当にお姫様だな、我侭が過ぎる。
……判った、二週に一度。これ以上は譲れない」

それでもまだ不満そうなアイリスだったが、切嗣の固い意志を察したのか
渋々頷いた。
深い溜息をつきアイリスを見る切嗣。このお姫様はどうして
こんなにも自分にこだわるのだろうか。まったく理解できない。

「理解を得られたようであり難い。ところで、この袋は何だい?」

切嗣はアイリスが持っていた大きな袋を眺める。
一抱え以上はある麻で編まれた丈夫な袋だ。何に使うのだろうか。

「教えません」
「―――は?」
「意地悪を言う切嗣には教えません」

緩慢な動作で切嗣の手から袋を奪うと、アイリスは遅い駆け足で
エントランスから外へ出て行ってしまう。
その様子を目で追いながら後ろ頭を掻く切嗣。どうやら今度の
お怒りは相当なものらしい。

今日何度目かになる溜息をついて、切嗣はベンツェを駆って
深山町へと向かうのだった。



家政夫と一緒編第三部その36。Interlude7-1。
過ぎ去りし過去の風景。
冬木市に到着し、アインツベルンの砦へと辿り着いた切嗣だが、
またも強制される城暮らしに嫌気が指し、セカンドハウスを
手に入れるために深山町へと向かう。