魔術師



「りゅーどーじ?」
「りゅーどーじですか?」
「ああ、山の上にある寺のことだ」

風の涼しい午前の居間。
アーチャーは勉強をしていた二人に話しかける。
無論、話題は龍の腸のことである。

「うーん……あっちのほうはあんまりいかないの。
とうさんもあそこのじゅうしょくさんがにがてなのか、
あんまりつれてってもくれなかったし」
「あんなとおいところまでいったことないです………ごめんなさい」
「……そうか」

期待はしていなかったが、どうやら何も知らないようだ。
当たり前だが龍の腸のことは遠坂家にとって秘事であるだろうし、
遠坂邸と柳洞寺、共に冬木市の最端に位置する間柄である。
子供の足ではこれだけの距離、歩いていくのもちょっとした
冒険になってしまうだろう。

「勉強中すまなかったな」
「どーしたの? おてらまいりでもするの?」
「かみさまにおねがいごとですか?」
「生憎神を信じていないのでね。
なに、あそこに住んでいる人間に野暮用があってな、それだけのことだよ」
「……でかけるんだったらあんまりおそくならないよーにね?」
「よるはあぶないですよ?」
「……く。
ああ、ありがとうマスター」
「どーいたしまして!」

まるで子供を諭すかのような二人の言葉に苦笑を浮かべるアーチャー。
身近な人が自分の知らないところで危険なことをしているという
状況は―――外で遊ぶ子供を心配する親に似ているかもしれない。

『……やれやれ。すっかり立場が逆転してしまったな』

少し前までは心配をするのは自分だったというのに、なんともはや、
子供とはいえ女性というのは強い生き物だとアーチャーは感心する。
二人はアーチャーが何のために外に出るのか、推測がついているのだろう。
それでも、帰ってきてねと送り出してくれるのだ。

『ならば精々、土産の一つや二つは持ち帰らねばならんな』

二人に本当の笑顔を取り戻すため。
何よりも心強い声援を受けて、アーチャーは遠坂邸を後にした。



◆  ◆  ◆  ◆



―――結局のところ。
昨晩行われた保護者二人の話し合いはすれ違ったままに終結した。
結論の出ない議論に費やした時間は現状、痛いものではあったが、
その全てが無駄ばかりというわけでもなかった。
アーチャーのサーヴァントがどれだけ信用に値するのか。
それを確認できたことは時臣にとって僥倖だった。

人は宝。信頼は幾百の宝石に勝る―――。

和を尊び、協会内外でも高い信用を持つ遠坂時臣は、
魔術師として異端である。
それは聖堂教会の代行者である神父、言峰璃正と
深い親交を持つあたりに如実に現れている。

有史以来反目しあってきた魔術協会と聖堂教会。
長らく続いてきた両組織の苛烈な争いに仮初ながらも終止符が打てたのは、
彼ら中庸の者たちが手を取り合ったという事実が大きいのだ。
魔術師でありながらクリスチャンでもある遠坂時臣。
優れた実力を持ち、家柄、人格共に優れる彼の存在は、
ハト派の間では象徴的人物として祭り上げられている。
そう、遠坂時臣は基本的に調停者であり、穏やかな理解者である。


―――されど。彼も魔術師だ。


災厄は根から断つべきだというアーチャーの言い分は理解できる。
彼が本気で娘達のことを想ってくれていることも理解できる。
それでも。
遠坂時臣は彼の言葉に賛同するわけには行かなかった。
目指してきたもの、受け継がれてきた想いを簡単に投げ出すわけには
いかないのだ。

「……………」

議論の後から一睡もせずに結界再構築にあたっていた時臣は、
外から差し込む日の光に目を細めた。
時計を見る。もう10時過ぎである。

ふらつく頭に喝を入れるとバスへ向かい、
シャワーを浴びて身だしなみを整える。
髭を整えようと鏡を見た時臣は思わず仏頂面になってしまう。
随分と濃い疲労の色。まるで死人のような顔がそこにあった。

先日の冬木大橋の一件から、屋敷周囲の警戒、周辺霊脈との連結、結界の構成、
魔術礼装の点検と、殆ど休んでいない故に当然といえば当然だ。
化粧を入れ、顔色を調整する。これなら娘達の前に出ても
問題は無いだろう。

身支度を整えた時臣は、空腹を満たす為台所へと向かう。
何はともあれ腹ごしらえ。魔力を生むのも良い仕事をするのも、
腹が満たされていなければ始まらない。
階段を下り、一階へと向かう時臣。
その途中、玄関のほうでドアを締める音が聞こえた。

「―――?」

結界に反応が無いということは来訪者や敵の類ではないのだろう。
とすると誰かが外へ出たのか。
娘達には外に出る際きちんと報告しなさいと申し付けてある。
だとすれば―――アーチャーか。

「あ、とうさん」
「あ……………」

階段を下りた時臣は玄関で娘達と鉢合わせる。
アーチャーを見送っていたのだろうか。

まず間違いなく危険を伴わない外出をしないだろう娘達のサーヴァント。
それでも毅然とした立ち振る舞いを見せる凛に時臣は感心を覚える。
時臣が帰ってきたばかりの頃は不安定さが目立っていたが、
今の凛にはそれが無い。
恐らくは心の内で戦う覚悟を決めたのだろう。
それに比べると桜のほうは、時臣の前だと気後れしてしまうのか、
少しおびえたような表情を浮かべている。


時臣も桜の前だと―――どのような顔をすれば良いのか、わからなくなる。


「アーチャーは?」
「あ、はい。えと………りゅーどーじにようがあるって」
「………です」
「………そうか」

柳洞寺。大空洞への入り口を探しに行ったのか。
昨晩の様子から推測するに、なんらかの障害があるようだが。
とはいえ、勝算の無い攻撃を仕掛ける男ではあるまい。恐らくは周辺地域の
情報収集に向かったのだろう。

「あの、とうさん」
「なんだ」
「りゅーどーじのこと……なにかしってる?」
「………何故、そんなことを?」
「あーちゃーがたずねてきたの。りゅーどーじについて
なにかしらないかって。わたしたちにきいてきたってことは……
あーちゃーはとうさんにもきいたんだよね?」
「そうだ」
「………」

時臣の固い意志を感じ取ったのか、黙り込んでしまう凛。
目には見えない、壁のようなものが娘との間に生じるのを時臣は感じた。
………聡明な子だ。
アーチャーと時臣の間に何があったのか、察してしまったのだろう。

遠坂凛は、サーヴァント・アーチャーのマスターだ。
彼を信じ共に往く、戦友同士だ。
戦いを超えて培った信頼は何よりも重い。それ故に。
アーチャーと反目する時臣は自分達にとって明確な味方にはなりえないと、
判断したのだろう。

『………本当に、強く育った―――だが』

時臣は退けない。その方針を良しとする訳にはいかない。
この子達の未来を、先の見えない暗澹たるものになど
断じてさせるわけにはいかない。

時臣には凛の決断をどうこう言うつもりは無い。
アーチャーがそうであるように、凛もまた魔術師として信じるもののために
決意を固めたはず。
ならば、それでいい。自分は自分のやれることをただこなすだけ。
二人を守り、立ち塞がるだけだ―――。


「お、おとうさん」

時臣の思考を中断させるかのように、かけられた幼い声。
怖くて、震えているのか。少しだけ上ずってかすれた声。
手を強く握り締めて時臣を見上げる視線は―――桜のものだった。



家政夫と一緒編第三部その26。
遠坂時臣という魔術師。
輪を持って人の中心にいる、穏やかなる魔術師。
けれど彼もまた魔術師であることに代わりは無い。
魔道とは戦って勝ち得るもの。知識とは諦めず追い求めるもの。
ならば―――この戦いの果てに。自分はどうするべきか。