最後の戦鐘

「………あり得ない事態だが。
嘘をついているわけではない事は、目を見れば判る。
お前ほどの者が“悲劇”と言い切るほどの事態だ。
それは人知を超えた災害なのだろう。
何の為に、誰の為に聖杯を壊そうとしているのかも………理解できる」
「……………」

真正面から向かい合うアーチャーと時臣。
交わす視線は互いの全てを見抜き、
この話し合いがどれだけ真摯な思いをもって成されているかを伝えあう。
二人の間にあるのは同じもの。
誰の為に遺すか。
誰の為に壊すか。
その違いでしかない。

―――だが。

「―――だが、それでも。
遠坂は道を捨てない。
その可能性が一片でもあるのならば、遠坂は未来を諦めない。
………言った筈だな、アーチャー。
私に出来ることは娘を守ることだけだと」

それが、時臣から返ってきた返事。
根源到達への可能性がある限り、聖杯戦争を降りることは出来ない―――。



―――そして、真夜中。
柳洞寺山中から帰還するアーチャーへと話は戻る。




町外れの小高い木の上にて、闇に閉ざされた柳洞のお山を観察するアーチャー。
柳洞寺は強力な結界に守護されている。
その力はサーヴァントの能力を尽く圧する強力なものだというのに、
アサシンの主従はこの地に自陣を生成していた。

「これは、当たりか」

土地の古地図からあたりをつけ、
龍の腸を探索するため山中に踏み入ったアーチャーだったが、
予想以上のモノが釣れた。
リスクを負ってなお、柳洞寺山林を守るアサシンとホムンクルス。
龍の腸は間違いなく―――ここにある。

また、この地を本拠にしているのが例の白いホムンクルスである事も重要だ。
アインツベルンのマスターであろう彼女が龍の腸に陣取っている理由など
一つしか考えられない。
本義遂行―――第三法の成就。
アサシンの主従は大儀式を完遂させようとしているのではないか。

正式なマスターであるはずの切嗣を差し置いて何故ホムンクルスが
大儀式の準備に入っているのか定かではないが、
聖杯戦争も後半戦という状況で龍の腸を抑える以上、
彼らは小聖杯すら抑えている可能性がある。


「………時間が無い」


そう、時間が無い。
表向き、聖杯戦争はサーヴァントが残り一体になるまで続けられ、
最後の一人が完成した聖杯を掴む戦いだ。
―――だが。
聖杯戦争の本義である大儀礼だけならば、強力な英霊の魂数人分と、
特定量の魔力が蓄えられれば実行が可能なのだ。
厳密に6体分の魂が必要、というわけではない。
此度の聖杯戦争で呼び出された英霊の質にも寄るが、
少なくとも昨日の戦いで滅んだイスカンダルは
極上の魂を持つ英霊である。
向こう側へ戻る際に開く孔の大きさは十分であろう。

機は熟し始めている。
実行に移そうと思えば可能な領域にまで、状況は到達し始めている。


もし。
大儀礼を開始してしまえば、聖杯は不完全ながらもその力を解放するだろう。
新都を焼いた巨大な炎。あれと同じ悲劇がまた起こるかもしれない。


「―――そんなことを、させるものか」

止めなくてはならない。
間違いに染まった聖杯を、無に返さなければならない。
だが、龍の腸までの道は遠い。
正確な位置を知らずして、あの防御網を突破できない。

「………遠坂時臣。
貴方もまた、私や切嗣のように………底に堕ちてから気付くのか?」

そうなってからでは遅い。
無くなってからでは遅い。
守れなくなってからでは―――遅いのだ。


「帰ろう。
まだ出来ることがあるはずだ」

アーチャーは柳洞寺に背を向け、遠坂邸を目指す。

この手には、誰かと共に歩いていくという新しく得た答えがある。
それは時間のかかる救済。
泣く人々を即座には救えない救済だろう。

けれど、その形でしか守れない笑顔もある。
誰かと共にしか目指せない未来もあるのだ。


子供達の未来を、必ず守る。
固い決意を胸に秘め、夜を駆ける赤い騎士。

だが。
運命の潮流はその意思を嘲笑うかのように、
子供達を巻き込み流れていく事を―――アーチャーには知る術が無かった。



◆  ◆  ◆  ◆



中天に昇る白銀。
青い青い夜の空をまるで穿ったかのような白い月は、
ただ煌々と輝き、冬木の全てを照らす。

秋のやわらかい風が穏やかに吹く古屋敷の縁側で、
疲れ果てた魔術師が空を眺めている。
意識的か、無意識か。
左腕は痛む右腕を庇う様に抱えられ、切嗣の消耗具合を
物語っていた。


未遠川から帰還して以降、
切嗣は魔術礼装を駆使し両腕の治療に専念していた。
長時間にわたる治療行為により両腕の傷は塞がったが、
何故か―――元のコンディションまで戻らない。

『僕が真の“持ち主”ではないからか。
それとも―――この体が………限界だからか』

“あの日”、アインツベルン城で起きた事件以来、
まるで命を投げ出すかのようにサーヴァントとの戦いに明け暮れた切嗣。
人間の力をはるかに上回る強大なサーヴァントとの戦いは
心身ともに彼の体を痛めつけ、その疲労は限界に達しようとしている。

体は癒えても心が傷ついたままでは傷が癒える事は無い、と聞いたことがある。
腕を落とされた、腹を貫かれた、首を切り裂かれた、
そう言った致死性のダメージを受けたことは聖杯戦争中に幾度もあった。
そのツケが―――今になって回ってきたのか。
人間の体は外見が蘇生したからといって
治りきるというほど単純なものではないらしい。
その上痛むのは腕だけではなく、過度な魔術行使による偏頭痛や吐き気、
時折襲い来るフラッシュバックや眩暈など、状態異常には事欠かない。

このままいけば、全力で戦えるのは一度か二度。
それを超えればまともな戦闘を行うことは不可能だろう。


―――戦闘不能リタイアである。


「……………」

もう無駄には戦えない。これから先、一戦一戦が死闘になる。
敵を倒すために一切の無駄を省かねば勝利を掴むのは難しい。

残るサーヴァントは、アーチャーとアサシン。
そう簡単には出てこないだろうこの二組を、如何にして倒すか―――。


カランカランカランカラン―――


「―――!」

屋敷に響く警戒音。侵入者感知の結界に何者かが触れたらしい。
ホルスターからジェリコを引き抜き、縁側沿いの部屋にすばやく身を隠す。

「――――――切嗣!」

奥の間で休養していたセイバーが慌てて駆けつける。
既に武装を終えて戦闘準備は万全だ。共に戦うことはそう多く無かったが、
このサーヴァントの危機意識には好感を抱いている。

切嗣は顎で庭を示す。
セイバーは小さく頷くと風王結界を顕現させ、廊下へと踏み出す。

「―――何者か」
『………くく………。
なか…かに質の良い結界を敷いているよ…じゃな、
まさか気取られるとはおもわなんだ』

庭の静寂をかき乱す異様な音。
それは、声というにはあまりにも奇怪な旋律。
庭に居る虫たちの鳴き声、その音階一つ一つが重なり、震えて、響きあい。
まるで人の声のように生成され、二人に語りかけてくるのだ。

「面妖な………。あなたは何者か」
『さて、事の次第によってはワシがおぬしらの何になるか。
変わってくるやも知れんな』
「………何だと?」
「―――セイバー、もういい」

殺気立つセイバーを下がらせ、灰色は座したまま言葉を紡ぐ。

「魔術師。僕は回りくどいのが嫌いでね。
用件を言え」
『くっくっ………話が早いのう、衛宮切嗣。
では、話そうか―――』


幾多の思惑を乗せて、聖杯は回る。
虫の奏でる音色に乗せ、最後の戦鐘が鳴り響く―――。



家政夫と一緒編第三部その21。
まどろみの時は終わった。
虫は歌う。その思惑に乗せ終局の歌を―――。