幸せ


「うーーーん………。
けっこうあばうとなしつもんだね。
いくつかいい?」
「ああどうぞ」
「てきはひとり?」
「いいや、複数いる。彼らもどうしてもその果実が欲しい」
「かじつをわけることはできるの?」
「否、恐らくは無理だろう。
出来たとしても価値が大幅に減じる。
君も競争者もそれは望むまい」
「それじゃさいごのしつもん。
そのげなん、あーちゃー?」


「―――――――――」


目を眠たそうにこすりながらも、凛の瞳は利発そうに輝いている。
ああ、目の前の小さいのは子供とはいえ―――遠坂凛だった。

「―――ク。
まあそうとってもらって構わんよ」
「そ。
それじゃわたしのこたえはきまってるよ」

小さなマスターは小首をかしげてにっこりと笑う。
その笑顔はどうしようもないほどに―――アーチャーを信頼した笑顔で。


「がんばって、わたしのかせいふさん」


「―――ああ」


その期待に、応えないわけにはいくまい。


「しつもんおわり?」
「ああ、それだけだ」
「ふーん、いつもみたいにいじわるいうのかとおもって
みがまえてたのになー」
「同じことの繰り返しでは飽きが来るだろう?
とっておきの芸は一度きり、ここぞと言う時に使うべきだ。
今の君に使っても有効なダメージは与えられん」
「………あれ?
もしかしてほめてる?」
「さてな」
「わわ……………」

口元に手を当てて頬を真っ赤にする凛。
不意打ちに弱いのは相変わらずらしい。利発な分細かいニュアンスまで
きっちりと理解してくれるので、人の万倍からかい甲斐があるというわけだ。

『まあ、今のは礼含めだがね………』

正直、ここまで綺麗に信頼してくれるとは思っていなかった。
どうあろうとアーチャーの行為は彼ら魔術師の利権破壊に過ぎない。
その意味を完全に理解していなくとも、凛とて遠坂の魔術刻印を
継承した魔術師だ。この行いを止めに来る可能性もあった。

だが遠坂凛は表も裏も追求することなく、
ただ―――信じてくれた。

それがどれだけ嬉しいことなのか。
凛の想いに対して今のアーチャーには返すだけの持ち合わせが無い。
それほどの事だった。


『つくづく、私はいいマスターを持ったものだな』

能力云々よりも、共に戦うものとして、共に暮らすものとして、
最も大切なのは互いを信じ、尊重しあうことだと
アーチャーは思う。
そういう意味で、主人を信じ切れていなかった頭の固い弓兵は、
目の前の少女に頭が上がらない。

否―――もっとずっと以前から。
凛と桜、二人のマスターには返しきれないほどの借りがある。
とても大きな感謝がある。

『きっとそれが………誰かと共に生きて行くということなのだろうな』

互いに貸して貸されて。
その貸しの全てが一緒にいる理由になっていく。
誰かのことを思って何かをすることも、失敗して謝る事も、
君達と過ごした尊い思い出。
思い出せばここにいて良かったと、共にいれて嬉しいと感じる在り方。

人はそれを“幸せ”と呼ぶのだろう。



―――ズキリ。



『―――ああ』

もう断片的にしか思い起こせない遥か彼方の日々。
大事な人たちに別れを告げようと決意したときに感じた、苦しい思い。
長く留まった土地から離れるときに感じる、寂しい思い。
感じた痛みはそのとき味わったものと同じ、
大切なものを投げ捨てようとする大馬鹿者が何度も味わってきた感触だ。

振り仰ぐ遠坂邸の風景。
目を閉じれば隅々に溢れる小さな二人との日々。
その全てを失うことが―――怖いと感じている。



「むにゃ………ふわわ。
あや、わたしねてました………。
あれ? ねーさん、おかおがあかいですよ?」
「わわっ、う、うるさいの。
さくらだって、かおあかいじゃない」
「ふえ?
ちがいますよー、ほらほら、ゆうひがまっかだから
わたしのかおもまっかにみえるだけですよー」
「それじゃあわたしのもそうだもん!」
「そうなのかな〜………。
あ、あーちゃーさん、おはようございます!」
「………ク。
くくく………」
「ふえ?」
「も、もー………なんでわらうのよー!」


アーチャーがこれから成すことは、この生活を失う事と同義。
聖杯という寄代を失えば、サーヴァントを顕現させていた
強大な魔術基盤が消失し、その負荷が全てマスターへと集中する事になる。

その負荷は………未だ幼い少女達に拷問じみた苦痛として襲い掛かり、
いずれ精神を苛む事になるだろう。
本来英霊など使役できるものではない。
魔術回路に恵まれ、熟練した技術を持つ魔術師ならば可能かもしれないが、
凛と桜、二人の少女にとって英霊の使役は荷が重過ぎる。
そんな苦痛だけは―――二人に背負わせるわけにはいかない。


―――だから。もう引き返せない。
この優しい日々とはもうすぐお別れだ。

けれど、こんなにも優しく平和な日々を守れるのなら。
素敵な主人を守れるのなら。
馬鹿な男が抱く少々の恐怖など、何程のものか。



「ああ、つくづく私は―――君達に呼び出されて良かったと。
実感していたのだよ」
「むむ?
むー……………それいじわる?」
「さて、どうとでも」
「うー!
あーちゃーってほんとせいかくわるいよねっ!」
「ふえ? あーちゃーさんなんにもいじわるいってませんよ?」
「さくらはにぶいからきづかないだけなのっ!」
「に、にぶくないですよっ!
あさぜんぜんおきられないねーさんのほうがにぶいですっ」
「わ、わたしのは、てーけつあつだからしょうがないんだもん!」
「ほっぺぷにぷにしても、くすぐっても、おおごえでよんでも
ねーさんおきないですもんっ!」
「う、うるさいの!
ほ、ほらっさくら! このかんじなにっ?」
「え、えええーと………ううう………」
「ほほほ、ひとのじゃくてんをしてきするまえに
じぶんのじゃくてんをなんとかすることねっ!」
「ううううううう………」


とたんに始まる大騒ぎ。
感傷もなにもあったものではないと苦笑するアーチャーの耳に、
届くノックの音一つ。

「―――む?」

振り向いたそこに居たのは、平和な光景に微笑む時臣の姿だった。



家政夫と一緒編第三部その18。
もうすぐ迫るさよならは、この日々を愛しく思う
騎士の胸を締め付ける。
けれど、避けられないさよならだから。
最後まで笑っていくとしよう。

長い時の中、君達の中からいつか私の形が消えてしまっても、
笑顔でいたという記憶だけはどうか残りますように。