征服王


「なんだ、あれは………」


川上から下って来る幾十の黒い影。
一つ一つがまるで海を往く船のような形をしており、
古の大船団を髣髴とさせる。
それは圧倒的な気配を持ちながらも、酷く虚ろで―――実体が無い。


「―――征服王の軍勢」
「なに………?」


デッキから聞こえたセイバーの呟きを聞き、振り返る。
傷ついた体を主の魔術により治療していたセイバーは
一団を目視するためか、切嗣に肩を借り立ち上がる。

「軍勢………あの群れはサーヴァントが作り出したものなのか?」
「………ええ。
アレは、王が顕現させた軍陣です」

怪我を感じさせない動きで素早くブリッジ上に飛び乗ると、
川上から降りてくる虚無の軍団を確認し、そう呟く。
既に戦った事があるのだろうか。
セイバーの口調には遠方に臨む幾十の船団以上に
それを動かす者への畏敬が感じられた。

「―――征服王。
まさか、アレキサンドロス………か?」


―――アレキサンドロス。
紀元前4世紀、征服者として地中海からインドまでを蹂躙した大王。
ギリシアはマケドニアの王にして古代エジプトにおけるファラオ。
その偉業は征服者としてのものだけではなく、文化の担い手として
民族融和ヘレニズムを生み出した、古代屈指の戦略家にして文化人。
おおよそ英雄と呼ばれる存在の中で、
知名度、功績、実力共に最大の名を持つ者の一人だろう。


「―――いえ」

セイバーは眉をひそめ、船団を睨む目に力を込める。

「私が知る王は東征記アッリアノスに記されたアレキサンドロス王の姿です。
記録や書物の上で、少なくとも彼は人間だった。
ですが………彼はもう別の存在だ」

そう言って船団を見つめるセイバーの目は、
人を見る目をしてはいなかった。
言うならば―――そう、敬虔なクリスチャンが神の存在を語るときに見せる
怖れを伴う深い表情。

「―――そうか」

英霊は人の願いによって編まれるもの。
その魂は死後、偉大な功績を奉り上げる人々によって形作られる。
その果てに昇華した存在が英雄。即ち英霊の座に住まう者達である。
たとえ英雄が人の死を迎えたとしても、その存在を語り継ぐ後世の人々が
“それ以上のモノ”として神格化したのならば、
英雄の魂はそうしたカタチに編まれ昇華されていくのだ。


「彼の来歴を辿り、理想化された王の姿が―――英霊として成った。
つまりアレは………アレキサンドロスではないのだな?」
「―――はい。
彼は征服王イスカンダル。征服者にして星へ昇る預言者。
雄羊を打ち倒した全地を翔る雄山羊。
ゴグとマゴグを退けた双角の者」


信仰基盤の強大な魔術が力を持つのと同様に
英雄の力もまた多くの人の祈りにより編まれるもの。
旧約聖書ダニエルの書第八章、そしてイスラームの聖典
“アル=クルアーン”において、角の生えた者として扱われる異形。

即ち。
征服王イスカンダル―――。



「アーチャー。
貴方たちは退きなさい。ここは間もなく死地となる」
「―――なに?」

セイバーはそういうと自分の肩を支え、治癒魔術を施していた
切嗣へと視線をめぐらせる。

「―――切嗣、ありがとう。
後は貴方自身の傷の手当てを」
「………10分。それ以降ならば僕も援護に入れる。
耐えられるか、セイバー」
「雑兵相手に遅れをとる私ではない。
充分に持ちこたえて見せましょう。
ですが切嗣。この場所では聖剣を………」
「――――――っ。
待て、セイバー」

堪らず、セイバーに声をかけるアーチャー。
迷いも憂いも切り捨てて、美しき王の顔を取り戻した
セイバーがそこにいた。

「………アーチャー。
私たちは元々、イスカンダルと戦うつもりでこの未遠に陣取ったのです。
貴方には関係が無い」
「………っ、そうか………それで」
「―――貴方は勝者だ。
だが私たちの命をとるつもりは無いという。
ならば去れ、ここはまもなく戦場となる」
「―――――――――」
「………守りたいものが在るのでしょう、アーチャー。
もう間もない。ここにいれば幼子達を危険に巻き込む事になる」
「………え」
「………あ」

ほんの少しだけ表情を和らげて、アーチャーに抱かれた
凛と桜を見るセイバー。

「アーチャー。私たちは聖杯を諦めるつもりは………ありません」
「―――!」
「この場を切り抜けたら………再び見える事となるでしょう。
―――今度は、倒します」
「………セイバー………」

悲痛な表情を浮かべるアーチャーの顔を見て僅かに俯くセイバー。

「………アーチャー」
「………なんだ」
「貴方が言ったとおり………私の背負ったものは私にしかわからない」
「……………」
「貴方が望んだ願いも………貴方にしかわからないものだ」
「………ああ」
「ですが。
きっと貴方の想いも私の想いも、その重みは変わらない。
剣に命を賭け、戦ってきた道の重みは変わらない。
―――だから。貴方の言葉、しかとこの胸に刻んでおく」


胸に右手をあて、セイバーは言う。

ああ、なんと誇らしい表情で………そんな事を言うのか。
敵にすら―――否、敵だからこそ。
真摯な想いを、全力で受け止めたのだ。

セイバーは願いを曲げたわけではない。
聖杯を諦めたわけではない。
けれど―――変われないわけではないのだ。

ならば、望みはきっとある―――。


「さあ、行きなさいアーチャー。
―――約束は重いものだ。必ず叶えるのですよ」

そういうとセイバーは颯爽と歩みを進め、船の舳先から宙に躍り出る。
水中に沈むことなく水面に着地したセイバーは、
広域不可視結界を展開するために集中を開始する。


「―――あ………」
「あう………」

セイバーの後姿を見送る凛と桜。
なんとなく寂しそうなのは気のせいでは無いだろう。

「………………アーチャー」

時臣は無言のまま首をめぐらす。頭上を通り過ぎていく巨大なアーチ。
その目は強く語っていた。
今を逃せばもう橋には戻れない、どうするのだ………と。

「……………」
「―――行け。これは僕たちの戦いだ」

切嗣は迷うアーチャーに気がつくと厳しい表情でそういった。
立ち止まる者はこの場には必要ない。
灰色の瞳はそう語っていた。

「―――ああ、判った。
死ぬな………じいさん」
「――――――?」

跳躍一つ、船の見張り塔から大橋の欄干へと飛び伝うアーチャーと時臣。
一行は長かった夜を抜けるため、老朽船を脱出した。



家政夫と一緒編第三部その8。
現れた征服王。
古代の英雄は圧倒的な軍陣を持って上流から迫る。
その軍団をただ二人で迎え撃とうとするセイバーと切嗣。

アーチャーは二人と交わした約束を守るため船を離れる。