願いの果てで


「聖杯――――――願い、か」


目を細める。
迷い、苦悩する少女を見つめる。

セイバーを縛る想いは、彼女自身が成し続けた生の全てだ。
その価値を、想いの尊さを知るものは彼女一人。
故に、彼女が望まぬ限り、自身を救えない限り―――
その手を握る事は叶わない。

二人の主従は同じだった。
何よりも大切な願いを尊ぶからこそ、
その手を血で汚し続けなければならない生き方。
誰かを救いたいからこそ誰かの願いを砕くという、同じ道の上にいる。


『………じいさん、セイバー………』


その想いの重さも、その気持ちの強さも、アーチャーには痛いほど理解できた。
だからこそ―――言葉や思いだけでは変えられないと、判ってしまう。


―――自分にもあった、遠い幸せの日々を思い返す。
大好きな人たちは自分のあり方を異常だと言った。
それはどれほどの悲しみの上で紡がれた言葉だったのだろうか。

その痛みは今、変えられない大切な人たちを前にして自分へと帰ってきた。
ここに居るアーチャーの存在こそが、彼らがこれから味わう
結果を物語っているようで胸が苦しい。

―――全てを救う事など出来ない。
それは長い旅の果てで得た一つの結論。
そんな事は判りきっていたというのに、直面した大きな壁を前に
味わう無力は大きなものだった。

歯を食いしばり考える。
どうすればいい? どうすれば―――変えられるのか。
生きてきた道が、出してしまった結果の闇が彼の眼前を覆おうとする。
―――その時。



「あーちゃー………」
「あーちゃーさん………」


止まってしまったアーチャーを見て不安になったのか、
呼びかけてくる凛と桜。
アーチャーは振り返り、二人の主人を見る。
じっとアーチャーを見つめてくる幼いまなこ。
その目は、その存在は語っていた。


出来る事はきっとあるよ―――と。


『―――――――――。
………全く………敵わない。
君たちには救われてばかりだな』

踵を返し、剣兵の主従へと向き直る。
結果に敗北しようとする自分自身を叱咤する。

『馬鹿が………エミヤよ、諦めないのではなかったのか。
もう何も捨てないのではなかったのか。
地獄の底まで落とされて………お前は何に救われたのだ。
結果か? 聖杯か?
―――違うだろう』

この身は優しい主人に救われた。
この身を思う気持ちに、救われた。
道の果て、守ってきた笑顔に………救われた。

言葉は―――無力なのだろうか。
想いは―――無力なのだろうか。

結果でしか人はその行いを反省できないのか?
伸ばされた手は、奈落に落ちてからでしか掴む事が出来ないのか?
それほどに―――人は愚かなものなのか?


『―――そんなわけが、在るか』


どれだけ無様であろうとも。
それだけ嘲笑されようとも。
救うために手を尽くさず、誰の手を握れるというのだ。



アーチャーは振り返ると、絶望の縁にいる主従を真っ向から見つめる。

「私は―――。
この願いを、誰にも渡すつもりはなくてね」
「……………え?」
「ああ、確かに私は絶望したよ。
奇跡なんてものに縋らなければ進めないほどに打ちのめされた」
「………………」
「―――ク。
だがな、奇跡の果てにあったのは………。
理想を叶えるどころか、理想を裏切り続ける自分。
人を救うどころか―――殺し続ける自分の姿だった。
………だからもう一度祈ったよ。
そんな自分を消し去る機会を与えてくれ―――とな」
「――――――!」「――――――」
「―――だがな、もうそんな事はいいんだ。
ようやく気付けた」


そう言って碧と灰色、二つの瞳を見つめる。
誰よりも大切だった人達。
誰よりも救いたかった人達。


「願いは―――叶い続けている。
誓いは、守られ続けているんだ。
この理想を―――捨てない限り、な」


「――――――なに、を」


苛立った様に眉根を寄せるセイバー。
強く歯を噛むと、目前の騎士を罵るかのように言葉を吐く。

「あなたに、何が………!」
「―――判らんよ」
「―――え?」
「判るわけが無い。私は君ではない。
君が背負ってきたものは、君だけのものだ。
君が、背負うべきものだ。
それは他の誰にも背負えない、君だけのものだ」


「――――――っ」


―――罪も、罰も。誰にも、押し付けられない。
ましてや、奇跡などに………押し付けられるわけが無い。
そんな事は、判りきっていた。
判りきっていた、ハズなのに。

それでも、苦しくて、憎んで。
美しいものを失ってしまった事が辛すぎて。
欲してしまった。望んでしまった。

―――歩んできた道を、消す事を。
―――胸の中の大切な願いを、手放す事を。


何を―――望んでいたのか。
欲しかったのは美しい理想?
欲しかったのは美しい結末?
何を求め―――歩みだしたのか。


「………尊いと信じたものがあった。
守りたい何かがあった。
その為に生き、その為に走り続けてきた道を。
救えた誰かを、守れた笑顔を。
―――繋げた命の価値を」



「君は、間違っていたと―――嘆くのか」



「――――――っ」

見開かれた紺碧の瞳。
傷ついた騎士は魅入られたように、独白するアーチャーの瞳を見つめる。

「私はもう―――手放さんよ。
その中にあったんだ。沢山の笑顔が。
その果てにあったんだ。小さな希望が。
消えたほうが良いと思える価値の無いモノでも、誰かの笑顔は守れる。
誰かに必要とされる事もある。一緒にいて欲しいと、泣かれる事もある。
―――価値の無い理想ならば、その果てで。
零れ落ちた涙に、浮かべられた笑顔に、意味を見出せばいい」


「――――――」


「そうして守れる何かがあるならば。
存在する理由は―――それで充分だろう。
私は――――――」

振り返る。優しくて、強い、小さな主人たちを。

「この理想と共に、生きていく。
その先で守れるものの為に、生きていく。
聖杯などいらん。
願いは常に、この両手が叶え続けているのだから」



家政夫と一緒編第三部その6。
願いの果てで。

想いも願いも叶える為に歩き出す。
その道のりはとてもとても辛くて、遠すぎて。
辿り着く前に疲れてしまう。

いくつもの壁が立ちはだかる、永遠に続く峡谷。
登っても登っても果てなど見えはしない。

けれど。
その途中でみた美しいものは、無くても良いものだったのか。
旅の果てに待っていた越えられない断崖。
そこで足を止めても、越えてきた道や、山や、己の気持ちは。
歩み続けた道程は―――無意味なものだったのか。

男は断崖をゆっくりと下りだす。
その先に対岸へと渡る道があると信じて、進み出す。
たとえ往く先に地獄しかなくても、地獄をも越えていこう。
きっと出会いがある。救えるものもある。

道のりは遥か遠く、けれども願いは近く。
いつまでもこの手の中に。