
風の吹く場所
―――キキィ。
蟲が鳴く。
道の脇で、木の上で、鉄橋の上で。
あらゆる場所でその醜い身体を蠢かせている。
「―――キ」
未遠の中流、川裾の茂みに潜伏する蟲が、
地を揺らす唸りのようなものを感知し、震える。
目も耳を無い、口だけの蟲が感覚だけを頼りにその姿を捉える。
川の中程―――水上を覆い尽くし進む、巨大な影の群れ。
一つ一つが家二つ分ほどもある影が群を形成し、未遠の下流へと進んでいく。
「―――キキ」
影はある規則をおいて美しく配置され、ゆっくりと進んでいく。
それは群れというよりも―――軍陣。
異郷を征服するために群れを成す、古の軍団。
そう、影はまるで―――これから戦を仕掛けに行くかのように、
気勢を上げ川を突き進んでいた。
―――ヒュヒュン。
「―――キッ」
ドサリと、蟲はその身を横たえる。
影の群れから跳んできた幾条もの矢。その一つが蟲の身体を貫いたのだ。
何事もなかったかのように影は進む。
目指すは未遠の下流、冬木大橋。
影の目的は決まっている。
己が王に対し戦いを挑んだ、愚かな騎士を叩き潰すことである―――。
◆ ◆ ◆
「それでは行ってくる」
凛と桜、二人の頭を撫でる。
船上、サンデッキの上で待ち構えているセイバーと切嗣。
二人を倒し、この場から離脱する。
「うー………」
「……………」
アーチャーを前にして頑張ってはいるが、待ち構える二人の敵に対し
怖れを隠せない凛と桜。
魔術師同士の本格的な戦闘。
その最高位であるゴーストライナーを使役した人外の戦い。
どうあがいてもそれは殺し、殺される戦争の現場だ。
恐ろしくないわけがなかった。
「―――怖いか?」
「………え………。
こ、こわく………ないよ?」
「うう………こ、こわく………」
「………いいんだ。
怖くても、いい」
「―――え?」
目を丸くしてアーチャーの顔を見る二人。
「魔術師もサーヴァントも恐ろしい存在だ。
それに変わりは無い。殺し殺される、戦いに支配された存在だ」
「あ………それでも、あーちゃーのことはすきだから!」
「だいじょーぶですからっ!」
「―――そ、それはもういい。
ちゃんと理解しているから何度も言うな、まったく………」
少し照れつつ苦笑するアーチャー。
目を細めて優しい主人たちの顔を見る。
「ただ、判っていて欲しい。
魔術師の世界とはそういうものだ。
どれだけ高い志を持とうとも、そういうものだ。
その覚悟が―――誰かの願いと命を踏み越えていくという覚悟が、
一朝一夕で得られる訳が無い。
そうある自分を、そうしようと思う自分を、簡単に作り上げられる
訳が無い」
「………う………」
「………はい………」
「だから。
これから続いていく長い道の中で、進むべき道を、
目指すべきものを見つけたのなら。
そうなる為の想いを自分の中で育てていけば良い。
なりたい自分に近づけるよう努力していけば良い。
その為の未来を、私が守る。
だから、今は怖くてもいい」
「………あーちゃー………」
「あーちゃーさん………」
そう言って難しい顔になってしまう二人。
良いといわれても心配をかけたくないのだろう。
アーチャーは溜息一つ吐くと二人のおでこを軽く突付く。
「わ」
「はわ」
「―――とはいえ、怖い怖いでは精神衛生上良くない。
故に、お手軽に恐怖を克服するための秘伝を伝授しよう」
「う?」
「あ、あるんですか?」
「簡単な事だ。おいしいご飯の事を考えたまえ。
………明日は。
君たちが好きなものをなんでも作ってやろう」
「―――え? ほ、ほんとっ!?」
「なんでもですか!?」
「ああ、なんでもだ。今から考えておけ」
笑顔で顔を輝かせる二人。
元は不機嫌ライオン鎮静法ではあるが、子供には効き目抜群のようである。
元気になった凛と桜を見て
アーチャーは満足げな笑顔を浮かべると、立ち上がる。
『―――さあ、往こうか。
この笑顔を守りに』
騎士は再び剣を取る。
自らに、そして大切な人に、恥じない道を示し続けていくために。
「行ってくるぞ、マスター」
「………うんっ! いってらっしゃい!」
「………がんばって、あーちゃーさんっ!」
誰よりも頼もしい声援を後に、アーチャーは歩き出した。
―――戦場へと。
家政夫と一緒編第三部その1。
歩き出す騎士。
その理想は常に担い手を試し続ける。
暗い闇の底から手を伸ばし続ける。
けれど、もう迷わない。
どれだけ強い風からも誰かを守る、強い自分で進んでいく。
さあ往こう。
大切な人の明日を守るために。