誰かの為に


「あ、ぐ………」


脇腹に―――正確には腹腔内から背中にかけて―――大穴を穿たれ、
ふらつくアーチャー。
衝撃と失血に遠のいていこうとする意識。
だが、ここで膝を屈すれば終わってしまう。

対する切嗣は足を剣で縫いとめられながらも、
壊れたトランクケースから覗く何かに手を伸ばす。
―――拙い。この体のバランスでは防御どころの話ではない。
アーチャーはその隙を突いて、直前の曲がり角―――
トイレ前ロビーへと飛び込む。


ドサッ。


壁を背に倒れこむ。
魔力を回し、脇腹に開いた大穴を塞ぎにかかる。

ギチギチギチギチ―――

「ぐ、ううううううう…………!」

かろうじて塞がる腹の穴。
これほどのパワー、拳銃弾で出せるものではない。

―――固有時制御。
その業は摂理を超える異形の魔術によって成された結果である。



アーチャーの腹を吹き飛ばした銃弾。
ジェリコから発射される拳銃弾が持つ本来のエネルギー量では、
これほど早く当たる事もなく、またこれほどの威力を持つ事はない。
では、剣を貫き腹を穿った銃弾に
巨大なエネルギーを与えた現象とは一体何なのか―――?


飛翔する物体が持つエネルギーはその『重量』と『速度』によって決まる。
ここで変化したのは、重量ではなく速度だ。

物体が持つ速度は、運動する物体が『ある地点』から『ある地点』まで
到達するのにかかった時間を計測する事で求められる。
ではアーチャーを破壊した弾体のエネルギーを増加させた要因は何か?
速度のパロメーターを変化させうる要因とは一体何か。
そう、計測時間である。

物体が移動すればどんな微小距離であろうとも必ず速度を得る。
その速さが巨大であるほど、運動する物体が
なにかに激突した際に発生するエネルギーは巨大になる―――。



―――『固有時制御』とは。
運動する物体が個々に保有する、
物体固有の時間概念『固有時』のパロメーターを減少させ、
移動する物体の計測時間を短縮し、速度を発生させる魔術。

歩く早さを制御すればその速さは目視を超え、
飛ぶ弾丸を制御すれば数倍のエネルギーを生み出す―――。
それが魔法の域にあると言われる『固有時制御』が獲得した術理である。
無論、等価交換が原則である魔術故に出せる速さには限界があるが、
“対人間”を謳うならばこれ以上の魔術はあるまい。
人にとってその速さは回避する事も、受けて無事でいることも出来ないのだから。



『くそ、どうする?』

間合いを開けられた以上、切嗣にはいつでもアレを使う事が出来るはずだ。
うかつに飛び込めば狙い撃ちにされるだろう。
それに、切嗣が持っていたトランク―――。

『もしあれに、大口径銃弾を放てる類のものが入っていたとしたら』

その運動エネルギーは先ほどの比ではない。
干将莫耶ですら突破し、アーチャーの身体を破壊するだろう。


―――確実に、無事では済まない。


「――――――――――――」



無事では、済まない。



『――――――ク。
ククク………。何を、躊躇っているアーチャー。
お前が取り戻したものは、なんだ?』


取り戻したもの。
貫こうと決めたものは、何だ。

―――理想だ。
この手が届く世界にいる、守りたい人を守る。
悲しい泣き顔を笑顔に変える。
その理想。

守りたいモノの為に、払うものは何だ?
救いたい人の為に、失われるものは何だ?
敵の命か、はたまた、罪も無い人の命か。

違うだろう。


『私が払う。私が失う。
その先に、泣く人のいない未来が待っているならば―――賭けよう、この命を。
そうして、勝つ。
笑顔を浮かべてくれる………人の為に』


覚悟は決まった。
この手にあるのは干将莫耶、ただ二振りの剣のみ。
ずっとずっと、出会ったときから共にあった陰陽剣。
どんなときもこの命を守り続けてくれた、戦友。

『干将莫耶。勝つために、止めるために―――共に戦ってくれ』

無論、返る答えなど無い。
だが無骨な刀身はまるで答えなど必要がないと言わんばかりに。
ただ泰然と。
ただ超然と。
変わらぬ輝きを宿していた。

―――いつものままだ、相棒。


「―――ああ。いつものままに、戦友」


アーチャーは立ち上がり、廊下の情報を吟味する。
ブリッジ前の直線通路はこの先にあるプライベートホール扉前でT字に分岐し、
船のサンデッキへ繋がる船体側面ドアへと続いている。
また、アーチャーがいるトイレ前ホールはブリッジから続く直線通路の
丁度中間に位置しており、ブリッジ前もプライベートホール前と同じく
T字通路となり、船体両面へと繋がっている。
つまりここ5Fブリッジ前通路は『工』の字を描く構造になっているわけだ。

中央通路に閉じ込められたアーチャーにはここからの脱出は難しいが、
切嗣は船首から脱出しようと思えばいつでも出来るはずだ。
だというのに、切嗣に動く気配は無い。

―――ここで、決着をつけるつもりなのだ。


『………いいだろう。
じいさん、あなたを―――止める』


頭を莫耶、心臓を干将で。急所を守るように構えるアーチャー。
魔力で活動するサーヴァントにとって、魔力供給点である心臓を穿たれる事と、
精神を破壊される脳への一撃は即、存在消滅に繋がる。
だが―――逆に言えば、そこさえ守りきれば死ぬ事は無い。

―――同調、開始トレース・オン

物体構成、下肢強化。

感覚を研ぎ澄ませ。
奥の手ソレを見せ、倒せなかった事を―――後悔させてやれ。
勝負は一瞬。早く、ひたすら早く、切嗣の下までたどり着く。
それがアーチャーにとっての勝機。


「―――いくぞ」



家政夫と一緒編第二部その45。
何のために戦うのか。何を目指し戦うのか。

叶えられなかった願いがあった。壊し続けてきた命があった。
理想は一度も叶うことなく、終わりまで突き進んだ。
―――だからこそ。
意思ある我が身がその価値を、蔑ろにしてたまるものか。

選ぶ事の出来る意思がある。
差し出すべき体がある。
ならば、その為に全てを賭けるのだ。
―――誰かの、為に。