灰色


…………オオ…………オン………

「―――――――――?」


深夜。
まだ0時には届かない夜更け。
ほんの微かに響く金属音を感知してアーチャーは目を覚ました。

「………なんだ?」

ベッドから身を起こすアーチャー。
もうもうと埃が舞う中、まずは自身のコンディションを確認する。
―――昼間に続き、体内魔力が予想を上回り大きく回復している。
悪い事ではないのだが、その原因に心当たりが無い故に気持ちが悪い。

『大気中の大源マナ密度が高い―――というわけではないな。
私自身の能力という線もありえないだろう』

最後の可能性―――二人の主人の顔を思い浮かべる。


『まさか、な』


判らないものを思い煩っても仕方が無い。アーチャーは思考を中断する。
昼間と今の回復分を含め、アーチャーの身体にはそこそこの魔力が戻ってきた。
まだ予断を許す状況ではないが、通常投影やその他の魔術起動ならば
不足なく行える充実振りである。
これなら最悪ともいえる身体状況を少しは元に戻せる。

アーチャーは戻ってきた魔力の一部を回し、傷口を塞ぎにかかる。
手当ての確かな部分は少年を信頼してそのままにしておき、戦闘に使えない
肩の筋肉、腕の筋断裂、指の骨折を『修理』する。


ギチギチギチ―――


鉄が皮膚を覆っていく感覚。痛みと共に傷口は塞がり、腕に感覚が戻る。
治った腕を一回転、重くはあるが痛みはあまり感じない。
これなら十分戦えるだろう。
包帯代わりにしていた聖骸布を再び身に纏うと、ベッドから立ち上がり
状況確認を開始する。

聞こえた金属音。重く、微かな音。まずはその発生源の特定からだ。
ふと目をやった船窓。その風景を見てアーチャーは愕然とする。
対岸が寝る前より大きく見える。


「―――船が、動いている?」


遥か下の水面。
バルバスバウが水面を割き、後方へと流れていく波がそれを示していた。

「船の持ち主が戻ってきたのか?」

だとするとこの場所に長居は無用だが、船の位置は川の中ほど。
いまさら桟橋まで跳んで戻る事も不可能である。
向かう先も問題だ。もし冬木港を出て海に出ることにでもなった日には
目も当てられない。
アーチャーは船窓から船が進む方向を見る。

「あれは………冬木大橋」

夜闇の中にライトアップされ、浮かび上がる赤い鉄骨。
船は川を遡るかのようにゆっくりと進んでいるらしい。

「―――ふむ」

それを見てアーチャーは待つ事に決めた。
すぐさま船を離れるのならば河に飛び込むという選択肢もあるが、
先の戦いで未遠川に落下し、その激流にもまれているアーチャーには
この河に飛び込むことがどの程度危険な事かが判っていた。
幾多の水源を上流に持ち、高度差もある未遠川は水深もあり流れが急で早い。
無駄な危険を冒し急ぐ必要は無い。
船が大橋に近づくというのならばそのタイミングを待ち、
大橋に飛びつけば良いだろう。

そう考えたアーチャーは、枕の下から投影した短剣を懐にしまうと
早速行動を開始する。

――――――ィ………。

船室のドアを開け、外の気配を窺う。
人の気配が全く感じられない。


「―――?」


少し、妙である。
アーチャーがいる3Fデッキは基本的に客室がメインスペースとなっている為、
ホテルなどと同じように従業員の気配は極力感じさせない造りなのだが、
それにしても―――船が動く前と後、何も変わらなさすぎる。

アーチャーが乗る老朽船は70メートル級の中型客船だ。
船は大きければ大きいほど
多くのスタッフを必要とする。古い船ならなおさらである。

『………おかしいぞ』

そうだ、おかしい。
この船が、客船として機能しているわけが無いのだ。
傷つき、老朽化した外装。手入れも無く放置され古びた内装。
ドック入りしてもおかしくは無い老朽化具合なのである。

『だというのに、何故この船はドックのある港ではなく―――川上に向かっている?』

嫌な予感がする。
アーチャーは2F、従業員室があるワーキングデッキへと向かい、
階の気配を探ってみる。

―――同じく、人の気配を感じない。

「――――――」

懸念は、確信に変わりつつある。
アーチャーは急ぎながらも極力気配を殺した足取りで上階へと向かう。
目指すは5F、ブリッジ。
途中4Fでも人の気配を探ってみたが、ここでもそれは全く感じられなかった。

アーチャーの表情が険しくなる。


―――老朽船の存在意義には矛盾が多い。
この船は驚くべき少人数、恐らく一人か二人で動かされている。
このサイズの中型客船を少人数で運用可能にする事。
それ自体がある程度の技術テクノロジーを必要とする。
また、それほどの客船であるというのに、
ドックにも入れず朽ちるに任せて放置してあった。

―――老朽船がとる行動には矛盾が多い。
ドッグに向かうわけでもなく、別の地域へ移動するわけでもなく、
川上へと向かっている。
このサイズの船舶が繋留できる桟橋がそちらにある訳でもないのに。
またこんな夜中に出航する。一体何処へ向かうつもりなのか。


この船を見たときに初めに抱いた感想。
『沈むために、ここにやってきた。』
それは間違ってはいないが的確ではなかった。

この船は―――戦うために冬木にやってきたのだ。



そうして。
アーチャーは、ブリッジドアの前に立つ。
ここに来るまでの間、人の気配を一切感じなかった。
思い浮かべた幾多の推測が、この先にいる人間の正体を断じている。

そう、この街はいま戦場だ。
理不尽を示す要素が多くなればなるほど、答えは非日常へと集約する。
戦地では日常から推測されるどんな理不尽も起こりえる。
長い間、放置されていた老朽客船。その存在自体が答えだったのだ。

―――ギリッ。

ここに来るまでに投影した干将莫耶を握る。
気配を殺し、神経を研ぎ澄ます。
この奥にいるだろう―――魔術師。それを無力化する。


『―――いくぞ』


ガアンッ!!


一息にドアを開け放ち、弾丸の如くブリッジに飛び込む。
視線一巡。即座に捉えたブリッジ内の視覚情報を分析する。

突入したドアはブリッジの右奥部。
操舵用のコンソールはブリッジ中央に位置している。
その制御装置の前で、不意を打たれながらも
腋のホルスターに手を伸ばすコート姿の男一人。


「―――――――――え」


魔術師へと突進するはずだった四肢は、その動きを停止する。

ボロボロのコートを纏う目前の灰色。
忘れもしない、忘れるはずが無い。
大好きだった、人。


「――――――じい、さん――――――」


それは、在りし日の衛宮士郎に夢を受け継ぎ。
空っぽのまま散っていった―――男の姿だった。



家政夫と一緒編第二部その43。
灰色の空の下。誰かを助けられた事に―――
本当に嬉しそうな、笑顔を浮かべていた人。
全てを失った自分に、家族の暖かさを取り戻してくれた人。
月の晩。永遠の約束をした、大好きな人。

自分よりもずっと虚ろだった、灰色。
―――魔術師殺しMaguscideの、衛宮切嗣。