痛み


―――ゴオオオオオオオオオオオオオオッ!!


「風王結界―――最大解放」

大気の歪みが目に見えるほどの猛風を生み出し、荒れ狂う嵐の玉。
周辺環境への被害を最小限に抑えようとしているのか。
圧縮され、濃縮され、暴圧され、行き場を失った風の精達が
怒りのままに聖剣の周囲を舞う。

風王結界―――射撃解放―――!


「―――っ、いかんっ!」
「―――遅い!」


グオオオオオオオオオオオオオォォッ!



まるで竜の叫び声のような、風の唸り。
囚われの怒りから開放された風は真空を生み出し、暴風と共に猛威を持って迫る。
その一撃は音速を超え、避ける間もなくアーチャーを捉えた。

ドパアンッ!!!!

「―――がっ……………!!」

下段から振るわれた“風の刃”は、アーチャーの体を上空へと吹き飛ばす。
距離のため真空波は十分な効力を発揮できず、
刃のような鋭いダメージは貰わなかった。
だが、発生した指向性衝撃波、極振動―――それは風と言うより巨大な手であり、
衝天の一撃は鼓膜、粘膜部を破壊し、全身に深刻なダメージをもたらす。
圧倒的な衝撃に気が遠くなりながらも、迫る“赤い何か”への激突から身を守る為、
アーチャーは受身の動作を取った。


オンッ……―――ズドオンッ!


「―――あ。
………あ、がっ、あ―――はあ……っ………!」

眼窩、鼻腔、耳腔―――。
到る場所から血を流し、ダメージにむせ返るアーチャー。
赤い何か―――冬木大橋のアーチ部分。
目的の場所には辿り着いたが三半規管をやられ平衡感覚はボロボロ、
これでは逃げる最中に死ぬ可能性が高い。

「ぐ―――あ………がああああ!」

―――それでも。
こんな場所で死ぬわけにはいかないのだ。
予備の魔力を体に漲らせ、決死の思いで立ち上がる。
血に濡れ、真っ赤な視界が夜の冬木を写す。

どっちだ、川は、どっちだ。


「こちらだ、アーチャーのサーヴァント」


響き渡る、凛とした声色。
それは死神が発するには美しすぎ、
彼の知る少女が発するには、あまりにも険をはらんでいた。

ぼやける視界が目前に立つ白い死神を写す。
顔を歪めてもなお美しい白銀―――セイバー。

『まったく―――甘い事だ』

こんな死にかけに声をかける必要など無かった。
ただ無言のまま刃を振り下ろすだけで十分。うまくすればそれで
終わっていたはず。
―――終わって、いたはず。


『―――?』


何か、おかしい。

ダメージの為胡乱になった思考だが、その違和感に疑問を発する。
そうだ、セイバーは、そこまで甘い相手だったか?
半端な騎士道で相手に温情をかける、そんなやり方をする相手だったか?

戦いの礼を重んじ、確実ではなかろうとも己の持つ全力を尽くし敵を倒す、
そんな騎士ではなかったか―――?


ブオンッ!―――ギインッ!


だが、芽生えた疑問への答えに辿りつかせんとするかのように、
瞬時に間合いを詰めてくるセイバー。
命綱の干将でその一撃を防御する。


ギャリイイイン………

始まる鍔迫り合い。
それによって生じる火花が二人の顔を明るく照らす。
膂力は桁違い。
コンディションも雲泥の差がある。

『―――ならば何故。鍔迫り合いなどする?』


火花の向こうに見える、無念に歪むセイバーの顔。
赤い視界の遥か側方、墓標のように立つ―――冬木ポートサイドビルの姿。
途中で見かけたはためく布―――風見布。
そして―――今自身がいる場所、冬木大橋。

その4つの符号は不可解だったセイバーの行動に意味を与え―――
アーチャーは戦場を眺望しているであろうセイバーのマスターの真意に、気がついた。


ああ、何故あの位置でセイバーが待っていたのか。
答えは明確だった。
あの位置が大橋の狙撃に最も適したポジショニングだったからだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



―――その瞬間。
逡巡も、躊躇いも無く。
アーチャーは鍔迫り合いに使っていた力を抜いた。

ザスッ。

「―――え?」

呆と漏らされるセイバーの呟き。
風王結界はアーチャーの体を切り裂き、血の花を咲かせる。
胸に走る激痛。
だがその一瞬、強固だったセイバーの体から、力が抜けた。



敵の真意、それは―――



トンッ。

セイバーの肩を、押す。脱力したその体はアーチャーのそれを受け入れ
後方へと数歩、よろめく。



―――頑丈な従者に敵対者の足を止めさせ、諸共に。
敵を仕留める事だった。



ゴンッ!――――――キュオッ!

風を切り裂く一条の魔弾。
冬木ポートサイドビル、その屋上から放たれた12.7mm×99儀式聖別弾は、
Aランク大魔術の巨大なエナジーを伴い、アーチャーの胸板を吹き飛ばす。

「―――が」

セイバーの一部ごと吹き飛ばすであったろう非情なる一撃は
最後に残された意識の手綱を引きちぎり、弓兵の体から戦う力を奪い去る。
仰向けに倒れ、大橋のアーチから足を踏み外したアーチャーは
真っ逆さまに、暗い未遠川へと落ちていった。



◆ ◆ ◆



「―――な」

アーチの上で遥か下方、暗い水面を見つめるセイバー。
今、あのサーヴァントは何をした?

なにか痛いものを堪える、悲痛な顔で。
自らが傷つくことなどどうでもいいと言わんばかりに風王結界を受け入れ、
セイバーを突き飛ばした。


恐らくは、セイバーを守るために。


「何故―――?」

死にはしない。
セイバーが死ぬ事は彼女のマスターにとっても無意味な損失。
この作戦はセイバーの驚異的な回復能力を前提に入れ立てられた
彼女のマスターらしい非情なモノ。彼女を道具扱いする、ソレだった。

それでも、作戦を呑む事に不満など無かった。
全力戦闘も橋につくまでは保障されていた。ここまで引っ張ったのは自分のミス。
傷つくことも、納得して受け入れた。
残り少ないサーヴァントを確実に倒していくために。

聖杯戦争も後半。これまで互いの理解を放棄し、勝手にやってきた二人も
隠れ、潜み、姿を現さない敵の姿に苛立ち、焦りを隠せない。
手段は違えども二人には共通している事柄がある。
聖杯戦争の早期決着。そして勝利。
その為になら己の矜持を蔑ろにする事でさえやってきたのだ。
セイバーは故に、マスターの非情な戦術すらも受け入れ共闘を決意した。
―――勝つために。


この作戦で、セイバーが死ぬ事は、無い。
そんな事はあのサーヴァントとて理解できたはずだ。
なのに何故―――助けた?


―――ズキン


自分を見つめるその視線。
悲痛な表情は―――置いて来てしまった騎士の顔を思い出させた。
忠実で愛すべき我が円卓の騎士達。
サー・ベディヴィエール、サー・ルカン。

何故そんなものを―――あのサーヴァントから感じたのか。


「――――――」

頭を振る。
誰かを助けるために自分の身を省みないなど―――
ましてや。敵のために己の命を賭けるなど。
そんな戦いに意味は無い。
そんなやり方に意味は無い。
生きて生きて生き延びて。望みを叶えられなければ、何の意味も無い。


ザッ。


踵を返す。
次なる戦いに向かって。
だが、歩き出したセイバーの脳裏には確かに―――
弓兵のあの悲痛な表情が、焼きついていた。



家政夫と一緒編第二部その35。
伸ばした手に言葉はなくとも、その行動は二人の内に何かを残す。
戦いの中、なおも求めるモノとは何か。
その存在を―――。