剣は剣に



霧のように細かい雨粒が、傷ついたアーチャーの体をすり抜けていく。

遠坂邸のはずれに立つ高い木の上。
アーチャーはあの夜戻ってから二人と顔をあわせる事も無く、
屋敷の防衛を続けていた。

予想はできた事ではあるが、サーヴァント、魔術師による攻撃は未だ無い。

アサシンが負った傷は半死半生のものだ。
宝具による攻撃、切り札の完全破壊。
流した魔力も多く、容易に癒せるものではない。

とはいえ相手はサーヴァント。
幼い二人を残したまま攻めに転ずる事など出来るはずもなく、
アーチャーはこの場から動く事が出来なくなってしまった。


ガラッ。


物思いに耽っていたアーチャーの耳が、遠坂邸から聞こえる音を捉える。
シングルハングの窓から顔を出したのは、物憂げな幼い顔。
凛だ。
あの夜、家に戻ってからの凛はずっとこんな様子。
顔を出さないのは食事を食べるときと恐らくはトイレの時くらいで、
日がな一日、ああして空をぼんやり眺めている。


『………あんなに外にのりだしては濡れてしまうだろうに………。
気温も下がってきたから風邪を引いてしまうぞ。
―――少し痩せたか?ちゃんと食事をとっているのだろうか………』

そんな考えが脳裏に浮かんでしまい、アーチャーは自嘲気味に笑う。
彼女たちの心労の原因など知れている。アーチャーのせいだ。
人外の化物がこんなにも近くにいる。
そして、圧倒的な力を持つ化物達が自分たちの命を狙っている。

それが不安でないわけがない。恐ろしくないわけがない。
当然だ。
如何に魔術師の家に生まれたとて
彼女たちはまだ十にも届かない子供なのだから。

その道を歩む覚悟、その意味。
それを知るには幼すぎ、歩む力を得るには時間が足りなさ過ぎる。
だからこそ守らねばならなかったのだ。
親ならぬ我が身でも、大人として幼子を守る力を持つ者ならば。


『だと、いうのに……………』

この戦いを終わらせるどころか、ここから一歩も動く事が出来ない。
なんという、無様。

『……………どうした、ものか……………』

彼女たちのために剣になると決めた。
一刻も早くこの戦いを終わらせるために、自分がやらねばならない事―――攻める事。
その為にどうしても………守り手が必要だ。
この家で二人を守ることの出来る、実力を持つ存在が。

しかし現状で考えられる守り手は………言峰綺礼、ただ一人。

『………駄目だな』

あの日、彼に受けた“呪いの言葉”が脳裏を掠め、その選択肢をあきらめさせる。
実力は信用できるが信頼は出来ない。
同じ理由で、二人に令呪を放棄させ、教会に預けるという手も使えない。

アーチャーは思案する。二人を守りながら攻めに転じる、早期決着の方法論を。

だが、たった一人戦場を駆け、大切な者を持たず生きてきた彼の裡には
その二つを両立させるモノが存在しない。
大切なものを守るために何かを切り捨てる。それしかない。

―――それでは、駄目なのだ。

堂々巡りになる思考の袋小路はいつまでもいつまでも、彼を苛む。
二人に悲しい思いをさせたまま守り続ける以外に、道はないのか―――?



―――その時だった。



―――Abzug Bedienung Mittelstand

正門開錠の呪文コマンドワード
弓兵の優れた聴力は門から聞こえるその呟きを察知した。
鷹の目が即座に目標を捉える。
ブリティッシュモデルのスマートな黒のスーツにブラウンのコート。
大きな黒い雨傘に隠れ見えにくいが、
彫りの深い日本人離れした顔立ちはどことなく神秘的で、
優雅さと気品を見るものに与える。
何よりも際立つのはその青い瞳。どこまでも澄んだ青は誰かを髣髴とさせた。

『―――凛?』

その端正な面立ちは男女の違いはあるものの
遠坂凛、その人と印象をダブらせる。
一瞬の逡巡、そして、動揺。あの男は―――。

『――――――!?』

唐突に、男から発せられた強い気配。
それは樹上にいるアーチャーに対し向けられたものだという事を、
男の青く鋭い視線が伝えていた。
霊体を、捉えている?

見えているのか見えていないのか。男はその視線をアーチャーから外さない。
しばし睨みあう二人。
視線の強さは拮抗していたが、動けない意味合いは両者共に違う。


明らかに人間を超えた戦闘力を持つであろう眼前の霊体に対し、
攻め手を見出せない―――男。

現時点で戦闘を仕掛けるか否か判断に迷う―――弓兵。


凍りつく時間。攻めあぐねる両者。
そんな沈黙のにらみ合いを破ったのは、男たち自身ではなく
窓辺で佇む少女―――凛の存在だった。


男は凛の姿に気がつくと、一瞬だけ―――
ひどく愛おしい者を見る眼差しを浮かべる。
だがそれを切っ掛けに男の顔は酷く冷徹なものに変貌する。
目的のために全てを投げ打つ、魔術師の顔に。

少女を中心としたアーチャーと男の相対距離。
男はアーチャーの方が少女に近いことを一瞬で断じると
一歩を踏み出し、戦闘態勢に入った。

少女を守るために、サーヴァントに立ち向かうと。
己が命を賭けて、誰かを守るのだと―――覚悟したのだ。



『――――――ああ』

それは、その目は。その眼差しは。
自分のような偽善など及びもつかないほどに………真っ直ぐな。
親が子を守ろうとする、明確な愛を宿していた。


―――ズキリ


一瞬だけ―――窓辺の少女に視線を走らせる。
物憂げな表情。
けれどアーチャーはその顔がもっと、
華やかで優しい笑顔を浮かべられる事を知っている。

ああ、だからこそ。
そんな風に悲しい表情をさせてしまう自分は、
もうここにはいられないのだと―――悟ってしまった。


アーチャーと対するため、男はコートの内側から防御礼装を展開する。
その淀みのない行動、呪文詠唱、相当の手錬だ。
少なくとも大成した魔術師―――マスタークラスであることは間違いない。
遠坂の魔術特性は力の転換。道具の扱いは一級品だ。
封印された倉庫にあるだろう保有礼装や宝物アーティファクトのストックを推測する限り
ここを守って戦うのならば彼は誰にも負けないだろう。
二人を守れる、信用の置ける人物。これ以上などない。最高である。

ならば往こう。
剣は主のため。
敵を倒すために在るのだから。



『元気で。凛、桜』



木の幹を蹴り、アーチャーは宙に躍り出る。
半実体化したために肌に当たる霧雨を払い、曇天の空の下戦場へと駆け出す。
一年過ごした暖かい遠坂邸ホームを、後にして。



唐突に消えた強い気配に唖然としながらも、脅威が去った事に安堵した遠坂時臣は
コートについた雨粒を払い、スーツの襟元を正してから玄関に入っていった。

さあ。
娘の顔を見に行こう。



家政夫と一緒編第二部その31。
傷ついた体を抱え、弓兵は走りだす。
守り手は得た。あとは、剣たる我が身が敵の全てを打ち倒すだけ。