概念の化物:後編


「……………なんででてきてほしいのにいりぐちふさいでるのよ」
「……………む」
胡坐の姿勢のまま180°回転。ドアを開けて出てきた凛と見詰め合う。
なにかいうべき事があって待っていたはずなのだが、言葉が口に上ることはなく。
どちらも無言のまま5分の時が流れた。
息苦しいほどの沈黙。
さすがのアーチャーも胃が重くなり始めた頃。


「あーちゃー……………」
凛が口を開いた。


「あーちゃー………あーちゃーは、あーちゃー……だよね?」
「………?」
質問の意味がわからずアーチャーは首をかしげる。
「アーチャー……………弓兵。
意味を正すならばたしかに私はアーチャーだ。
君たちの従者、サーヴァント。
弓を使い、敵を討つもの。それが、私だ」

アーチャーの定義において思いつくものを列挙する。
だがその答えが不服なのか、凛は首を振る。


「ちがうよ」

「……………何?」


少女の言葉に困惑する。

違う?何故?
弓を使って敵を討つものではないのならば、剣を使って敵を討つものでもいい。
アーチャーは―――――エミヤは。
敵を倒すものだ。
殺して殺して殺して、救う者だ。
そこに武器の違いはない。アーチャーは敵を打ち倒すモノだ。
何が、違うと―――――


「あーちゃーは、やさしいひとだよ」

泣きそうな顔で、主人は呟く。

「かあさんのぬくもりも、とうさんのきびしさもきえちゃったこのおうちを……
ふたりきりでさびしかったわたしたちを………。
いっぱいいっぱいあったかくしてくれた。
わたしのしってるあーちゃーは、
いじわるで、こごとだいすきで、ちょっといじっぱりで、
おとこのくせにかじがだいすきで、にぶちんなあほだけど………」

最後でこけそうになったが何とかこらえて凛を見る。

「やさしいひと………なんだよ……っ?
だれかがなくことがいやで、おこってもあいてのことちゃんとかんがえてて……っ
いのちはとうといから、だ、だいじにしなきゃいけないって、
いっぱいいっぱい、せなかでおしえてくれたのっ……!
だから…………だからわたし………あーちゃーが………っ
ひっ……なん……でっ…………っく……!」



―――――泣き出してしまった主人に触れることも出来ず、
アーチャーは呆然と凛を見る。



言葉を、噛み砕く。

優しい人。
誰かが泣くことが嫌で、怒っても相手のことを考えていて。
命は尊いから、大事にしなければならない。

―――――?

それは、誰だ?
それが、今のアーチャーだというのか。

大勢を救うために助けられぬ者を見限り。
命を奪う敵兵に対して抱くのは憎悪のみ。
命の価値を知りながらこの手は血で真っ赤に汚れている。
それがアーチャー、否、エミヤだ。

―――誰だ?
それは誰だ?
それはエミヤでは―――――


――――――――――――――――――――ズキリ。


胸が、痛い。
泣きじゃくる凛の姿に感じる痛みは、誰が感じているモノなのか。

エミヤという“守護者”は変わらない。
切り捨て生かすその生き方はもう変わらない。
エミヤは人を救うため、狂わないために。
心を硬く、硬く、鋼のように硬化させた。

―――体は、剣で出来ている。

友を失った慟哭も。恋人を失った嘆きも。親を失った子供の叫びも。
彼を変えることは出来ない。
だからこそ彼は祈った。そんな下種は、消えてしまえばいいと。

けれど。
ここにいる何者かのココロは………こんなにもイタイ。
目の前の幼子の、誰かを思って流す涙が、こんなにも辛い。
誰だ?
ここにいるのは………誰だ?



「あーちゃー………いっちゃだめ。
もう……どこにもいかないで」

こぼれる涙を拭いもせず、凛はアーチャーの外套を強く握る。
何処にも行かせないと、その手は強く主張していた。

―――それはあの日の繰り返し。
地震の日、姉妹二人が願った小さな、けれど強い願い。

だから、結果も変わらない。
自分は、そういうモノだから。

―――なのに。
何故、この小さな手を振り払えない?


口を開くことも出来ずにアーチャーは無言で項垂れる。
その様は彼が普段見せているシニカルな態度など一片も感じさせない
弱々しいものだった。

「なんで……………っ………
いつもみたいに、いじわるなこといってよっ………!
なにもいわないなんて、ずるいっ……!」
少女も項垂れ涙する。


凛は疲れて眠るまで、何も言わない弓兵に対して文句を言い続けた。
弓兵はただずっと、それを聞いていた。
目が覚めた桜は二人の、重いけれど真剣な面持ちを、ずっと眺めていた。



家政夫と一緒編第二部その16。
―――けれど魂は長い旅の果て、
目のくらむような美しい朝焼けの中で一度だけ、光を見た。
追い求めていたものに、光を見た。

それは別段、彼にとって救いであったわけではない。
それは別段、彼にとって願いが叶ったわけではない。
けれど、それはなによりも大きな、暖かい光だった。

それはなんだったのだろう?
時間も、空間もない、概念だけの世界の中で。
男は書に目を通し再び悩んだ。
悩み続けた。