家政夫


朝の8時30分。
ソファーに埋まるように横たわり、消耗した魔力の回復に専念していたアーチャーは
そろそろ子供たちが起きる時間と体を起こす。
台所に向かい朝食の用意を行う。
トースト一枚にハムエッグとサラダ。
実に“普通の”食事だ。
「………ク。
まあ、これぐらいが当然なのだろうがね」
自分がどれだけこの生活に力を注いできたのか、実感させられるようで
苦笑してしまう。

朝の五時には朝食と昼食の仕込を終え、子供たちを起こして食事を食べてもらう。
言葉はなくても“おいしい”と語ってくれる嬉しそうな表情を見るのが好きで
どんなものが好きで喜んでくれるのか、栄養バランスはどうだと
試行錯誤していたはじめの日々を思い出す。


―――呼び出されて、一週間が過ぎ。二週間が過ぎ。
何も始まらないその状況に唖然とし。
三週が過ぎて何かが起こったのだと判断し。
四週が過ぎた頃には意味もなく慌て。
五週が過ぎた頃には諦めて。
六週が過ぎる頃には二人のために過ごす、この生活を完全に受け入れていた。

サーヴァント召還の気配を察知し、やってきた監督者の息子「言峰綺礼」は
ありえないイレギュラーにずいぶんと驚いていたものだ。
『前回から50年以上が経過しているからな。そういうこともあるのかもしれん』
薄笑いを浮かべながらも何かあれば自分に聞きに来るがいいと言い残し
言峰は去っていった。

そうして一年。

この国の移り行く季節の風情は、
四季など垣間見せない砂漠の風景や戦場で磨耗しつくした
彼の精神に穏やかな時の流れを取り戻させ。

触れ合う人々の存在は、守るべき命と営みの大切さを彼に実感させ。

時折起こる日々の事件は“概念の化け物”と化していたその在り方を
自らに客観視させ。

そして、二人の主人の存在は。
何よりも彼に“幸福”の尊さを………思い出させてくれた―――。



ザカッ。

トマトをスライスしていた包丁がまな板に食い込む。
「――――――――――!?」
力加減を誤った。
「……………いや」
通常、力加減を誤った程度で“普通”に使っている包丁が
まな板を断つ事はありえない。
普通ではない使い方、調理用具ではない、包丁の別の使い方。
武器としての、使い方。

昨夜の戦闘で、久々に使った“壊れた幻想”の影響か。
自分の在り方は呼び出される以前の状態に戻りつつある。

あんなに好きだった料理も、家事も。
すべてを捨てて、ただ人を殺して殺して殺して、救う為だけに在った、
壊れた在り方に。


「……………ッ」
今はまだ、もう少しだけ。
せめてこの戦いをこの手で終わらせるときまで。
二人に不安を抱かせないように、二人の心を守れるように。
両立させろ、アーチャー。そして消え去ればいい。

落ち着いて、息を吸い、吐く。
震える右腕の力をゆっくり緩めると、もういつもの………。
―――家政夫の。
アーチャーに戻れた。



「二人とも、朝だぞ。起きろーー」
「はぁいー」
朝食の支度を済ませ二階の私室にいる二人に声をかける。
帰ってきたのは桜の声。
「………やれやれ。いつもの如く、か」
アーチャーはその顔に苦笑を浮かべると頭をかきながら階段を上る。
二人の私室にたどり着くと軽くノックを二回、扉越しに呼びかける。
「そら、凛。今日もねぼすけか?
あまりずぼらが続くと桜に愛想をつかされるぞー」
「そんなことないですよー」
部屋の中から苦笑交じりに返事をする桜。
だが凛の答えがない。
「……………む?」
少し不審に思いドアを開ける。
「桜、凛はどうした?」
「ふえ?ねーさんおきてるとおもいますけど」
着替え終わった桜が自分のパジャマを両手で抱え答えてくる。
「………ふむ」
ずいぶんとご機嫌斜めのようだ。
では今朝の起床は少々手荒にいくとしよう。
にやりと口元に不審な笑みを浮かべつつベッドに近づくアーチャーを
桜は苦笑交じりで見送る。


「そら、おきろっ!」
そうしてかぶった布団を勢いよくひっぺがすと。


「――――――ひっ」


そこには。
怯えたような目で自分を見つめる、主人の姿が―――あった。



家政夫と一緒編第二部その13。
誰かの笑顔の中で願いを適える家政夫がいた。
死と血煙の中で願いを適える化け物がいた。
ああ、それはどちらも自らの願い。その手段。

けれど二つの手段を選ぶことは出来ない。
それは男自身が人生の中で得た結論。

だから選ばなくてはならない。
誰かの幸福を守る、やりかたを。