幻視
「今日はありがとうございました」
「うむ……また来なさい」
「それでは」
教会前にてディーロに別れを告げるライダーと桜。
時刻は既に夕暮れ時。
桜の状態を調べるために行った試験が長引き、遅くなってしまった。
―――結果をいえば、試験項目の全てがほぼ満点だった。
桜が習得している魔術の発現、維持、制御等の実技は完璧、
サーヴァント使役に関しても高い結果を残し、
ライダーの身体コンディションは絶好調。生前に近い力の漲りを感じる。
特に使い魔制御に非凡なものを見せ、その光景は二人の度肝を抜いた。
魔術知識に関しても並外れたものを持ち、歴史、文学といった人文知識だけではなく、
彼女が使えなかった術式理論や、果ては禁呪紛いの知識まで披露して見せた。
特に神学に関してはずば抜けており、現役司祭であるディーロの質問に対し、
彼を唸らせる知見を表したりもした。
そう言った全ての所見から、
桜の魔術師としての能力は基本能力、実践能力、そして
総合的な知識全てにおいて超一流の魔術師に比肩する水準にある事がわかった。
これは本来なら喜ばしい事だが、問題なのは発現があまりに急である事と、
桜自身に自覚が全く無いことだ。
これだけのジェネラリストぶりを見せておきながら、
彼女は至って自然体であり、不安を全く見せない。
それが一番の気がかりである―――。
「ねぇライダー、今日のお勉強とっても簡単だったね」
「……そうでしたか?」
「うん。いつも怒られてばかりだったから。
もしかして今日は褒めて伸ばす方針だった?」
「そんなつもりはありませんでしたが……」
「だとしたら少しは成果が出てきたのかな。
今日の事話したら、士郎さんも褒めてくれるかな。
ね、小人さん」
桜の影の中で平面化していた“影の小人”が、手だけ実体化させて桜に答える。
「桜頑張ったな、偉いぞ………なんて」
『( :':)ノシ〜ノ』
「え、小人さんもそう思う?うふふ……だとしたら嬉しいな」
影の小人の反応に照れ笑いを浮かべる桜。
いつもならばこちらに同意を求めてくる話題を取られ、
それどころかあんな反応を引き出しているところが面白くない。
小人を半眼で睨みつける。
「……あれ?ライダー、どうしたの」
「……何でもありません」
「……もしかして、妬いてたりする?」
「………っ、馬鹿を言わないで下さい。
使い魔如きに嫉妬など………」
「え、ほ、ほんとに?」
しまった、と表情に浮かべてそっぽを向くライダー。
これ以上追求されるのも癪なので早足で桜と距離を取る。
「わ、ライダー待ってよー!」
「……何でもありませんから」
「嘘嘘、もうからかったりしないから!
あーん、機嫌直してライダー!」
教会前の道を二人で追いかけっこ。
桜の困った声を聞くのが楽しくて、
意地悪をするように早足で逃げるライダー。
教会の敷地を示す白い石畳を出たところで、
駆け足で追いついてきた桜に左手を取られた、
―――ズクン
その瞬間。
「―――あ」
「つかまえたっ………ライダー?」
近くにいる桜の声が何処か遠くに聞こえる。
それは、目に入った人影に意識を奪われたため。
「―――――――――」
宵闇の中、坂の下に見える人影は、決して現れるはずの無い人。
可愛らしいフリルの白いワンピース。
活発さを示す長いツインテール。
柔らかで少女らしい美しい頬。
しかし、何よりもその存在を誇張するのは、
ライダーと同じ、星の定めにより生まれたことを示す、神現の瞳。
人影は、もう二度と会えるはずの無かった―――大切な家族だった。
―――バッ。
強く地を蹴り、駆ける足は風よりも速く人影を目指す。
目指すは坂の下、ここからなら一瞬で捕まえられるはず。
しかし、影はまるで実体のないもののように、すう、と
路地を駆け、住宅地へと入っていく。
「………っ」
影を追い、ライダーも住宅地へ。
碁盤の区画のように整理された住宅地を、影はスイスイと走っていく。
その儚げな背を追いかけてライダーも住宅地を行く。
誰も行き交わない夕暮れの住宅地。
昼の熱が放射され歪む、まるで影絵のように現実味のない街路。
お伽の国のような赤い世界を、狼のようにわき目も振らず獲物を追う騎兵と、
赤ずきんのように頼りなく走る華奢な影。
追いつけないはずが無い。この体は騎兵、最速のサーヴァント。
それも生前の力を十二分に再現する、神話の怪物だ。
それでもライダーは追いつけない。
華奢で、知的で、意地悪な影に追いつけない。
幾つもの角を曲がり、その度に見失いかけ、それでもなお影を追う。
息は切れ切れ、興奮で汗も零れる。見開かれた目は確かに
あの影を捉えているのに、どうしても捕まえられない。
「………まっ………」
手を伸ばす。もう少しで捕まえられそうな細い肩に手を伸ばす。
捕まえなくては、捕まえなくては。
―――私は、あなたに、あなた達に。
「待って………………っ!」
伝えたい事が、あるのに―――。
けれど、最後の最後。
赤い夕日の光が消える、その刹那。
一度たりとも振り返らなかった影が、ほんの一瞬振り返り。
浮かべたその表情が―――あまりにも■■そうで。
ライダーの意識は、正気へと立ち戻った。
「―――――――――っ」
気が付けば街の中。
住宅地から新都繁華街へと繋がる交差点の入り口にライダーは立っていた。
信号は赤。保育園帰りなのか、母親と手を繋いだ幼児が
息も荒く立ち尽くすライダーを見上げている。
「おねえちゃん、だいじょうぶ?」
心配そうな幼児の顔。母親のほうもびっくりした顔で
こちらを見つめている。
見上げれば空の色は群青色に変わり、赤い光は山の向こうへ。
「―――あ」
これは先日と同じ。夕暮れ時、現れた怪異と同じ。
在りもしないもの、出てくるはずもないもの、それが目の前に現れた。
桜の前に―――現れた。
「………サクラ!」
慌てて踵を返す。
桜、桜は―――何処に。
走る走る。先程よりも強く、確かな足取りで走る。
鼓動はずっと強く、苦しく、胸を苛む。
何をしていた、何を考えていた。
私は、何の為にここに―――。
―――ザッ。
そうして、辿り着いた教会への坂道。
日も落ちて、群青色に染まる空の下。
お洒落な形をした街灯が照らす、その光の下で、
「………あ」
寂しそうな顔をした主が、待っていた。
ライダーと一緒編-Sその8。
夢現のなかで見た影は、あの日失った大切な人。
その思い出が、その後悔が、騎兵の心を黄昏へと駆り立てる。