主人



―――入道雲が空高く突く、夏のある日。


「戸締り良し。
それじゃあライダー、行きましょ」

衛宮邸正門の重い閂に鍵を通し、戸締りを確認した桜は
咲くひまわりのように眩しい笑顔で振り返る。

「はい、サクラ」

それを眩しそうに見つめながら
長身の美女―――ライダーは、主人の後に従い歩き出す。




―――今日は教会で行われる週に三度の勉強会の日。
勿論魔術の勉強会だ。未だ魔術使いとしての領域から出ていない桜は、
自身の為に多くのことを勉強する必要があった。

間桐桜は特殊な魔術師だ。
数年前に起きた奇跡を成す大儀式“聖杯戦争”において、
代替聖杯として存在していた彼女は、身の内に“向こう側”との道が残っており、
今もなお巨大な魔力供給が続いている。
器を越えた魔力は害にしかならない。刻一刻と蓄積されていく膨大な魔力が
その器を越えれば、桜という殻は崩壊する。
彼女は自らの身を守るために魔術を学ぶ必要がある。

また、有り余る魔力の使い道として、彼女は英霊ライダーを使役している。
ライダーは並の使い魔とは比較にならない高次の霊的存在、サーヴァントである。
その制御には熟練した魔術師であろうと多くの困難を伴う。
桜はライダーのマスターでいる為にも、多くの魔術を学ぶ必要があった―――。




夏の日差しを受けて楽しそうに歩く主人の姿を見ると、
とてもそんな重いものを抱えて生きているようには見えない。
当たり前のように日常を過ごす、普通の女性である。

『守らねばならない』

聖杯戦争は彼女を不幸にした。
あの日々から彼女を救うことが出来たとはいえ、
受けた呪いはその身の内に残り続けている。
だからこそ、ライダーはここにいる。

業が呼ぶ全ての不幸から―――彼女を守るために。


「……ライダー、ライダーったら」
「………はい? なんでしょうサクラ」

物思いに耽っていたライダーに後ろから呼びかけてくる桜。
気が付けば桜を追い抜いていた。
モデル並みの足の長さと長身を誇るライダーは
コンパスも体力も桜のそれより大きい。
普通の速度で歩くと桜を追い抜いてしまうのだった。

「もぅ。ぼーっとして。
暑さにやられちゃった?」
「いえ、私はサーヴァントですからそのような」
「そんな事いって、少し汗かいてるよ?」

ショルダーバックからハンカチを取り出すと
背伸びをしてライダーの額に当てる桜。
ふわりと。優しい匂いがライダーの鼻腔をくすぐる。
それは日常の匂い。今の彼女を包む、幸福の匂い。

「あれ?
………ライダー、ホントに大丈夫?
なんだか苦しそう」
「……大丈夫ですから。
サクラ、あまりのんびりしているとディーロに怒られます」
「ディーロおじいちゃん?
……実はおじいちゃんに怒られるよりも
ライダーに怒られる事のほうが怖かったりして」
「………サクラ」
「だから今のうちに御機嫌取りをしておこうかな………とか。
えへ」


そう言って悪戯っぽく笑う桜。
その笑顔があまりにも美しくて、出会った頃からは考えられないほど
幸せに満ちていて。

―――この笑顔を、なんとしても守らねばならないのだと。

胸の内で強く想う。


「……残念ながらサクラ。
不適切な回答や態度には容赦しません。
買収も御機嫌取りも無意味です」

だから、にっこりと微笑んでそう伝えた。

「えっ。べ、勉強はしっかりやりますよ?」
「期待しましょう」

動揺する彼女に微笑みを残して坂道を降りてゆくライダー。
慌てて付いてくる主人の気配を離さない様に速度を落として進む。



―――叶わなかった願いを叶えてくれる、大切な人の人生を、
この体が消える時まで責任を持って守っていけるように。

今日もライダーは全力で主人を守る。
手加減など、無しだ。




ライダーと一緒編-Sその1。
出会った時から彼女を守りたいと思った。
意に沿わぬことがあろうとも
彼女の為ならば何でもやってのけた。

―――それは、自分と同じ運命を持つこの少女を、
怪物などにはしないと決意したからだ。

だから彼女を守る。その笑顔を守り続ける。
この体が消え去る、その日まで。