遠坂先生の異端講義U



『まずは私たち魔術師の考え方からいってみようか。
それじゃ衛宮君、問題よ。魔術師が求める究極ってなんでしょう』
「究極……魔法ってことか?」
『んー正確に言うと“魔法を可能とする知識”なんだけど。まあ間違ってないわ。
では、魔法を可能とする知識……つまり万能の知識が
渦巻く“根源”は何処にあるのかしら』
「んー………生命は根源の連なりから生じるんだよな?
だったら、生き物は根源に通じてるんじゃないか?」
『うふふ、良く出来ました。
西洋魔術の世界だと根源には生命体の内側から……
正確に言うと、魂の解析から届くんじゃないかって言われてる』
「ふむ……」
『衛宮君にはもしかしたら判るかもしれないわね。
固有結界……は判るわよね』



―――固有結界。
人の心象風景を表出させると言う大魔術。
元は悪魔や精霊が行使する異界常識であったものだが、
人の魔術師がその理に届き、禁呪として大成させたものだと言われる。



「……ああ」
『固有結界は世界図をめくり返し、自身の内側……心象世界を
現実世界に投影する魔術のことね』
「んん……世界図………?」
『ちょっと説明がめんどいけど行ってみようか。
西洋魔術の考え方で、“世界卵”というものがあるの。
この世界を、ひいては人間を卵と比喩する表現法なんだけど、
肉体……つまり物質的な欲望や常識を卵の殻とし、
魂……つまり精神とか根源的な要素を雛とするって考えね』

“殻を破る”という表現が精神的な成長を意味するのも、
世界卵の思考法の一つだ。

「雛………ってことはいずれ殻を破って出てくるってことだよな」
『そうそう。物質は精神を閉じ込める檻であり、
殻を脱ぎ捨てる事で人は新たな段階に進めるのだ……という、
つまりは魂至上主義の考え方なんだけど、まあそういう事』
「………ん………もしかして」
『ん、何々? 言ってみなさい』
「世界図って魂の記録ってことか?」
『衛宮君の癖にやるじゃない!そうそう、そういう事』
「む………」

何か言いたそうに表情を歪め、大きく溜息をつく士郎。大人である。

記憶や心といった精神を構成する非物質的な情報は
魂に記録されると言われている。
この魂の記録、内面世界を表現する情報そのものを“世界図”と呼ぶ。


『世界図………つまり、人間の心を構成する心象世界を
この世界に投影する魔術が“固有結界”。
人間そのものを世界卵に見立てた魔術理論から生まれた故に、
固有結界は“めくりかえす”って表現がされるのよ』
「卵の内側と外側を反転する………つまり、
殻を破るのではなく、殻の内側をめくり返すってことか」
『そうそう。良く出来ました!』

電話の向こうの凛の声が弾む。
恐らく近くにいたら頭でも撫でていた事だろう。


『固有結界というのは魂―――つまり根源的要素を
この世界に表出する魔術なの』
「………魂の表出………なるほど、だから」
『そう、それが固有結界が魔法に最も近いと言われる所以。
同時に、魔術の到達点の一つとも言われる所以よ。
固有結界を知ることは根源への第一歩。
もう一歩踏み込めば、魂の理を学ぶ事が根源への道程』


つまり、魔術師の研究は魂の解析に集約される、と言うわけだ。
魂の物質化を行う第三魔法は、
魔術師の目指す究極と言えるだろう。

『というわけで、西洋魔術師は
肉体の理よりも魂の理を重視し、研究するわけね』
「………ちょっと待ってくれ。話を戻すけど、
なんで魂を研究すると教会に敵視されなくちゃいけないんだよ?」


話が纏まったのを見て取ったのか、士郎が教会のほうへ話を戻す。
電話の向こうでふふんと鼻を鳴らす凛。話は核心に踏み込むようだ。


『―――そこがミソよ。
はた迷惑極まりない話なんだけど、魔術師の考える魂第一主義の思想の一つに、
“グノーシス思想”って奴があってね』
「グノーシス……さっき遠坂が言ってた奴だな」
『まあざっと説明するとこうよ……』


―――グノーシス思想とは、人間の本来的自己と、
宇宙を否定的に越えた究極的存在“至高者”とが、
本質的に同一であると言う認識-グノーシス-を、救済とみなす思想の事である。



「………本来的自己? 至高者……?
うさんくさいと言うかなんと言うか……なんかぞわっときたぞ。
もう少し判りやすく説明してくれ」
『あっはっは、まあこういう啓蒙的なのはアレルギー出るわよね。
むしろそういう反応でちょっと安心したわ。
よし、判りやすく単語を置き換えてみましょうか。
本来的自己を“魂”、至高者を“根源”と変換してみなさい』
「………んん………?」

先ほど言われた事を変換しているのか、
首を捻りながら考える士郎。

「…………あ。
それって魔術師の考え方と一緒じゃないか」
『そういうこと。
つまり、グノーシス思想は魔術師の基本思想であると言っても過言ではないわ』
「でも、ちょっと待ってくれ。
この“宇宙を否定的に越えた”って言うのはなんだ?
良く判らないんだが」
『うっふっふ、そこで教会が関わってくるわけなのよね』

説明が思ったよりも上手くいっているのに気を良くしたのか
上機嫌の凛。ライダーにもなんとなく落ちが読めてきた。

『このグノーシス思想と言う奴、実は単体では成立しない、
寄生型の宗教……と言えるものなの』
「寄生型宗教……?」
『宗教では必須の、独自の宇宙観とか民族的な伝承を持たないのね。
特色を現す固有名詞が欠けている、と言うべきかしら』
「固有名詞……つまりはキリストとかアラーとかそういうのか?」
『ご名答。
グノーシス主義は原始キリスト教と交じり合う事で、
“キリスト教グノーシス主義”と呼ばれる潮流を作り出したわけ。
その内容はこうよ……』



―――始めに父があった。
父は母なる属性と対をなし、彼には子があり、彼らは三位一体を以って完全であった。
ところが母なる属性が上界より落ち、独りとなった彼女は創造神を生む。

創造神は父なる者を知らず、母を陵辱し、下界に“天地と人”を作った。
彼は『肉持つ者』として君臨し、天地人、つまり物質界をその支配下に置く。
しかし、父は母なる属性を通じ、
人の中に父そのものである“魂”を封入する。

人は創造神の支配下にあるために物質を信仰し、自力で“魂”を認識できない。
その為、父は子、キリストを下界に遣わし、人の本質を啓示する。
人は子の啓示により“魂”に目覚め、子と共に父の場所へと登っていく。
これにより天地は解体され、万物は“魂”に帰一し、「万物の更新」が成就する―――。




「……なるほど。まさに歪んだキリスト教ですね」
『そうね。キリスト教は本来、父と子によって天地は作られたとされるし、
“父と子と聖霊-教会-”を以って三位一体-完全-だって教えているわよね。
まあ……創造神を悪玉にしてみたり、教会を省いてみたりっていうのは、
グノーシス主義が持つ“現世批判”の現れなのよ』
「現世批判……宇宙を否定的に、っていうのはつまりそういうことか?」
『その通り。正しいものと悪いものを明確にする考え……二元論っていうんだけど、
グノーシス主義では『魂、精神』を善とし、『物質世界、肉体』を悪とする。
“キリスト教グノーシス主義”の派閥は、
キリストによる“末世での人類の救済”という概念を解釈しなおし、
教義自体をグノーシス思想へと転換させたわけね』

聖書が編纂される以前の古代キリスト教には
キリストの言葉を冠した使徒文書が多数書かれており、
そう言ったいくつかの文書は特定の思想基盤の影響を
強く受けたものになっている。

「……ちょ、ちょっと待て。
そんな事したら教会は怒るんじゃないか?」
『そりゃ怒る怒る。
初期キリスト教はグノーシス主義との戦いだったといっても過言じゃないわ。
さっき“クレメンス第二の手紙”で肉体への暴虐、ってあったでしょう?
あれって、グノーシス主義者の極端な禁欲主義に対する
ローマ正教の弾劾文なわけ。
グノーシス主義者にとってキリストは肉を持たない霊的存在であり、
自分たちもいずれは魂に帰一するのならば、
肉体にこだわる必要はないってね。
その傾向が行き過ぎたあるグノーシス派閥なんかは、
放埓生活の末に集団自殺とかもしてたみたいだわ』

その論法に眉をしかめ、げんなりとしている士郎。

『ただ、いつの時代でも禁欲主義って奴は美徳とされてね。
主の御許へと至るまで精進を重ねる、って言えば
殉教精神とも合致するでしょう?』
「そうすると……それなりの立場を築いたわけか」
『ええ。当時のエジプト教会なんかはがっちりグノーシス主義だったみたいね。
グノーシス文書の最たるものである“ナグ=ハマディ写本”は
エジプトで発見されているし、
さっき桜が挙げていたヨハネのアポクリュフォンとか、
ヤコブの黙示録とかも写本に記載されていた文書なのよ』

なるほど……そこで桜に繋がるわけか。

『教会が魔術師を異端として敵視するのは、
私達の主義主張が彼らの教義とは真っ向から対立する要因以外に、
原始キリスト教がグノーシス主義者に大いに苦しめられた来歴を持つからでしょうね』
「なるほどな……根が深いってわけだ」
『魔術師の全員がナムナム言ってるわけじゃないって言うのに
迷惑な話よね。こちとら学徒よ学徒。
まあ………未だにシュポンハイムとか教会系学府が、
魔術協会内で力を持っていることも否定は出来ないんだけど』
「おいおい……」
『というか現魔術協会より教会系学府の方が歴史が古いのよねー、あはは』
「ぐだぐだだな……」

魔術協会の現状が推察できるような話である……。



ライダーと一緒編-Sその18。
魔術協会と教会の対立構造について。
血で血を洗う戦いによって穿たれた因縁は簡単に消えない。