遠坂先生の異端講義T



『そうね、まず異端の対義語ってなんだと思う?』
「正統、でしょうか」
『正解。即答じゃない、凄いわ桜』
「……うう、私の知識じゃないかもしれないので
あんまり嬉しくありません……」

しょんぼりと項垂れる桜。

『まあまあ、貰ったものは使い潰しちゃいなさい。
資源は有効活用よ!』
「はいっ」
『うん、いい返事。まあ異端というのは要するに、
特定の存在を正統化……純化するためにそれ以外の概念を排斥する、
という意味合いが強いのね。
当たり前だけど理論とか考え方みたいなものには
ノイズは少なければ少ないほどいいわ』

単純な理屈で動くものほど強い……というのは良く判る。

『まあ融通が利かなくなっちゃうって側面もあるんで良し悪しだけど、
この論法は特に宗教にとっては必須の考え方ともいえる。
異端、てのは元々宗教用語だしね。
当然だけど、一大宗教である“教会”も数々の異端を認定してきた』
「えーと……遠坂、一つ質問いいか?」
『先生と呼びなさい先生と!』
「う……遠坂先生」
『よろしい。何かしら衛宮君』

どうやらのってきたらしい。桜と顔を見合わせて苦笑する。

「“教会”の教えは主……キリストが広めた考えだろ?
純化するってことは彼の考えのいくつかを“異端”だって
認める事にならないか?」
『いい質問ね。
そうね……誰かが誰かにモノを伝える時点で、言葉は“歪む”のよ』
「言葉が……歪む?」

凛の言葉に首を捻る士郎。

『それじゃあ“木の実”って聞いて何を連想する?全員答えてみて』
「んー、ヘチマか?」
「えと……胡桃です」
「クルミでしょうか」
「う……俺だけ仲間はずれか……」
『ぷくく……ヘチマって……』
「むぐ……」
『そもそも木の実なの?あれって。
まあいいわ、私は椰子の実とか連想しちゃうんだけど、
判りやすく言うとそういう事よ』

凛の言いたいことは“解釈”と言う事なのだろう。

『キリストは言葉で人々に教えを説いた。
だから、その言葉を聞いてどんな風に受け取るかはその人達の自由。
ましてや、彼の教えを伝える代表が12人もいれば、それは教えも歪むわよ』
「あ、それは聞いた事がある。十二使徒だな」
『そう。キリストの高弟十二使徒。
で、主流と言われている“普遍”の意味持つカトリックは、
使徒の中でも殉教者ペテロの教えを主流にして形作られたと言われてるわ。
ローマ教会の司教であったクレメンスの“第一の手紙”の中でも、
ペテロを初代司教として別格扱いにしていた辺りにもそれは窺える』

二人集まれば二人の考え方、三人集まれば三人の考え方。
多くが集まれば誰を立てるかでその集団のあり方が変わる。
つまりは……誰をリーダーに立てるか、そういう事なのだ。

『まあ私たちも所詮人間だからしょうがないんだけど……。
十二使徒はキリストを敬愛し、彼の教え……正確に言うと
“彼が自分に伝えた教え”を絶対だと思っているから、
当人の思想的側面もあるんだろうけど、どうしてもその内容に
変化が起こってしまう。後世、彼らの教えを引き継いだ人たちは
当然の如く、自分たちに伝わっている教えを正しいものだと主張する。
そうすると俺達の方が正しい俺達の方が正しいと、まあ……判るわよね?』
「う……なるほどな。それが宗教論争ってヤツか」
『別に宗教に限った事じゃないわ。学者だって医者だって
自分が正しい、それは受け入れられないと、つねに誰かと衝突してる。
考えが違えば何を立てるかで諍いは起こる。ま、摂理よね』

実際医療も中心となるモノの考え方に対し、
特異な例をどういった形ですり合わせていくか、という形で
発展の歴史を辿っている。

『と、話が逸れたわね。
で、教えの中心になったローマ正教は自分たちが信じる教えを純化する為に、
布教により各地で林立し始めた教えのいくつかを“異端”としたの。
お前たちの解釈は我々の掲げる主の教えとは違う。
お前たちの作った文書は“外典”である、とね』
「外典………さっきも出たな」
『教えを広めるのに言葉でやってたら二の徹踏んじゃうからね。
だから、教義が曲がらないようにそれを聖典としてまとめる事にしたの。
西方教会が作ったそれを“聖書”と言うの』


聖書―――ホーリーバイブル。
西方教会の認めた書記群を編纂した聖典。
それは一つの考え方、教えの完成形だ。


『まあどこの宗教でもやってるわよね。
コーランとかアヴェスターとか、教えが曲がらないように、信徒たちが
肌身離さず持っている正しき教え。いっちゃえば教科書みたいなものよ。
聖書の冒頭なんかにも使徒信条って彼らの正しい在り方が書いてあるわ』
「使徒信条……イエス・キリストに関する解釈ですね」
『あ、ライダーいい事言ったわ!
そう、私が言いたかったのはまさにそこなの』

凛の声が嬉しそうに跳ねる。
なるほど、そこから教会と魔術師の話になるわけか。

『使徒信条を述べた“クレメンス第二の手紙”にはこうあるわ……』



―――肉体は霊の雛形です。雛形を駄目にする人は本物には与れないでしょう。
ですから兄弟達よ、このことが意味しているのは、
『霊に与る為に肉体を守りなさい』ということです。
さて、肉体は教会であり、霊はキリストであると言うのであれば、
肉体に暴虐を働く者は当然教会に暴虐を働いたことになります。
ですからこのような者はキリストなる霊を受け取ることは出来ないでしょう―――




「………肉体に暴虐を働く……?」

何でそんな事を強調する必要があるのかと首を捻る士郎。

『使徒信条の核になる部分に、イエス・キリストに関する正しい解釈、つまり
彼が肉体を持って生まれ、肉体を持って死んだってところがあるんだけど。
初期キリスト教の一派には“肉体なんてまがい物だ”って考え方があったのよ』
「……肉体がまがい物……?
すまん、詳しく説明してくれ」
『わかったわ。
ここからは魔術師と教会がなんて対立するようになったのか。
その理由に遡る話になるわ…………』



ライダーと一緒編-Sその17。
教会と異端の話。