外典



『今?別に構わないわよ。
夫婦喧嘩の仲裁の相談だったら切るけどね』


深夜、衛宮邸居間。
スピーカーホンにした受話器から聞こえる声は見知った声。
あの後、石化の進行を解除して桜の体を調べたライダーは、
その体に明らかな異常を発見し、士郎と話し合った末
時計塔にいる遠坂凛に連絡を取った。


「そんなことをわざわざ相談するか馬鹿」
『寂しいこと言うじゃない。衛宮君の声が聞けなくて私寂しいわー』
「棒読みで言ったって説得力皆無だからな」
『……ばれた?えへ。
冗談は置いておいて、わざわざ国際電話使って連絡取るってことは
急ぎの用よね。しかも質問する類の。……何があったの?』

電話越しの凛の声に真剣味が灯る。話が早いのは凛の美徳だ。

「ええ、リン。早速ですが用件からいきます。
サクラの腕に呪刻のようなものが現れました」
『うん久しぶり、ライダー。
……呪刻……刻印みたいなもの?』
「はい」

ライダーの隣に腰掛けている桜の左腕には包帯が巻かれ、
その下には先ほどの魔眼による侵蝕で活性化したのか、
文様のようなものが浮かんでいる。

『どんな形?』
「そうですね……直線と曲線を組み合わせたような文様が
手首から手の甲にかけて広がっています。
手首には……これは十字でしょうか。そのような文様が」
『それいつごろ出来たのか判る?』
「サクラ」
「うん……姉さん、お久しぶりです」
『うん、久しぶり。その文様にいつ気付いたの?』

凛の問いかけに少し考えてから答える桜。

「ええと……昨日の夕方でしょうか。
座敷わらしをみたんです」
『……ちょっと待って、文様の話よね?』
「そうです……う、私が説明すると判らなくなるかも……」
「補足します。
その前日の夕方に桜と一緒にディーロの元から帰る際、
屋敷の前で怪しい気配を感じまして」
『怪しい気配……正体は?」
「恐らくこの刻印ではないかと思うのですが、その時は
判断できませんでした」
『そうすると、少なくともその文様と関わってから三日は経つってことね』

凛の質問により状況が明らかになっていく。
その様子を感心しながら見ていた士郎は台所にお茶を淹れに向かった。
自分に出来ることは少ないと判断したのだろう。

『で、次の日の夕方に座敷ワラシを見たと。
衛宮君、貴方の家座敷ワラシ出るの?』
「ん?何か言ったかー?」
『ちょっと何処居るのよ!電話だってただじゃないんだから!』
「士郎さん、姉さんが衛宮のお家には以前座敷ワラシが出たのかって」
「見たこと無いぞー!……全く、遠坂もパソコン使える様になれば
スカイプとかだってあるんだぞ最近は……」

ぶつくさと言いながら茶碗をもって帰ってくる士郎。

『だとすればその文様が召喚してるのかしら……。
で、今日も何かあったんでしょ、その状況だと』
「はい。今日は……私の姉が出ました」
『……ライダーの姉……まさかゴルゴン三姉妹!?』
「はい」

受話器の向こうから緊張した凛の声が聞こえる。
こうして話しているライダー自身もそうだが、ライダーの姉達も
魔術師にとっては稀有で貴重な存在なのであろう。



―――ゴルゴン三姉妹。
その美しさゆえにアテナに憎まれ、『形無き島』に追われた三人の女神。
長女は“力”の意味持つステンノ。次女は“遠く飛ぶもの”の意味持つエウリュアレ。
そして“支配するもの”の意味を持つメデゥーサの三姉妹である。

ゴルゴン神話のあらましはこうだ。
三女メデゥーサは海神ポセイドンに見初められ契りを交わすことになるが、
契りを交わした場所がアテナの神殿であった為に、メデゥーサはアテナの怒りを買い、
三人もろとも形無き島に追放されることになる。
しかし、アテナの気はこれだけでは治まらず、後に神話の英雄ペルセウスに
幾つもの宝具を与え、ゴルゴンの退治に向かわせる。
そうして、メデゥーサはペルセウスに討たれ、
ゴルゴン三姉妹は滅ぶという結びで終わる。




『座敷ワラシの次はゴルゴン三姉妹か……どうも関連性が無いわね。
ん……そういえば座敷ワラシとライダーのお姉さんはその後どうしたの』
「夕日が沈むと同時に消えてしまいました」
『…………消えた?』

その点は確かに不審に思っていた。
座敷ワラシも姉も何をする事も無く光の中に消えていった。
これではまるで出てきてしまった、と言うほどに意味の無い召喚だ。
その時間だけしか力が維持できないゆえの措置なのか。
それとも、別の理由により消えてしまったのか……。

『―――妙ね』
「……ですね」
『他に判ってることは無いの?』
「この呪刻の影響でしょうが、桜の魔術的能力、そして知識量が
飛躍的に増大しました」
『……どんなものなの、それ』
「使い魔の制御や桜の属性魔術である架空属性魔術に関して
高い制御を行えますし、
回路の錬度や回転数も一流の魔術師と遜色ありません」
『はあ〜〜〜〜!?なにそれ……ありえない』

素っ頓狂な声を上げる凛。
そういった地道な技能訓練は
一朝一夕で身に付くものではないとわかっているが故に、
桜の身に起こっている事の異常性が良く判るのだろう。

「知識の方面に関しては……サクラ」
「うん。えーと……ヨハネのアポクリュフォンとかユダの福音書とか、
そらで暗記してます。その他にもエジプト人福音書とか、
ヤコブの黙示録とか、トマ……」
『ちょっと……なにその魔術師にとって魅力的なラインナップ。
異端文書とか外典ばっかりじゃない』
「……外典?」
『あら、気付いてなかった?
そのラインナップ、グノーシス文書って呼ばれる教会の外典よ』

首を捻る士郎と桜。
教会の教えに対して造詣の深くない二人は
外典と言われてもピンと来ないのだろう。
士郎は宗教知識にはノンタッチであるし、桜も魔術師の家系で育ったとはいえ、
魔術師の社会勉強など殆どしていない。
ライダーの方も流石に細かい聖典の話までは目が届いていないので、
詳しいとはいえない状況だ。

『何か判ってない空気ねー。
出てくる情報も増えるかもしれないし、さわりだけ説明してあげましょうか。
異端について。それから、どうして魔術師と教会が仲が悪いのかを…………』



ライダーと一緒編-Sその16。
桜が覚えている知識はある思想性を感じさせるものだった。