サクラ:後編



シナプスの迷路を駆け、バグを喰らい尽くすチェイスゲーム。
意思が飛びかう光の中を、魔術の根本を求め突き進む。


『サクラ』
《ライダー、助けて……!私、勉強してない事知ってて、変なの!》
『……ライダー、私どこもおかしくないよ』
『……サクラ、貴方の知識は……』
《あ……ライダー、気付いてた……!》
『……だ、だって、このくらい当たり前に出来る事よ?
ライダーやおじいちゃんが教えてくれたんだから』
《ち、違うよ……!ライダーは私が無理な勉強しようとすると、
焦らないでって止めてくれたんだから!》

『…………っ。
サクラ、私は貴方に無理を強いて高度な魔術を教えたいと思いません。
ですから、それは私が教えた事ではないのです』
《あ……ライダー》
『……そ、そんな……』


その間も意識が走る。魔術の干渉を潜り抜けた桜の本音がライダーに届く。


『ライダー、なんで意地悪するの……っ?
どうして……?』
《ライダー、違うのっ。私……》
『……意地悪ではありません、サクラ、私は……』
『じゃあ、なんでさっき士郎さんに……?
礼って……何……っ?』
《――――――!》
『…………っ』


留まる思考、凍りつく空気。


『もしかして、私のこと……嫌いになっちゃったの……?
だから私のことおかしいなんて言うの……っ?』
《………ち、違う》
『そんな……そんな事はありません……!』
『じゃあどうして今日に限って私を苛めるの……?
どうして私のこと置いて行っちゃったの……?
私、ライダーに嫌われるような事した……?』
『サ、サクラ……そんな事はありません……私は……』
《………ちが……う》
『私、馬鹿だから……ライダーに嫌われても仕方がないよ。
魔術を上手く扱えるはずは無いって言われたって当然だよね……。
ごめんね……』
『ち、違いますサクラ……それは違う!』
《………………》
『で、でも……っ!
それを先輩に言うなんて酷いよ……っ!
私が悪い事したんなら……ぐすっ……私に言ってよ……っ。
酷いよ……ライダー……っ』
『…………っ!』
《………………。
ライダー……どうして……?》



「――――――」

ああ……それは本当の声だ。
あの疑問は当然のこと。受けて然るべき罵倒。
魔術などは関係が無い。
ライダーの弱さが招いた、当然の疑問だった。


《どうして……?》
「サクラ…………」


魔術の尻尾が徐々に遠ざかっていく。
意思の弱体化は、追跡速度の低下に繋がる。
止まれない、そして―――逃げられない。
答えを出さねばならない。
ここは桜の中。守るべき人の中なのだから。


「私は……選んできませんでした」
《………………》
「目の前にあれば、手の届く場所にあれば。
人は誰でも好きなものを守ろうとする。
私が貴方の傍にいる理由は、貴方が守りやすい場所にいるから……
それだけだったのかもしれません……」
《………………》


桜が好きだ。彼女の笑顔を見ていると幸せになれる。
彼女の傍にいると暖かい気持ちになれる。
彼女の弱さも優しさも、その全てがいとおしい。

けれど、彼女を選べなかった。
姉達の事を選んでしまった。


「私は……従者失格です。
ただ幸せに浸かっていたかっただけの……愚かな女です。
貴方に対して謝りようがありません………」
《…………駄目なのかな》
「……え?」


声が、聞こえる。
大好きな人の……声が。


《傍にいたくて……幸せになりたくて……。
それだけじゃ……駄目なのかな……?》

「……サクラ……」


胸が痛い。
そう感じているのは自分なのか。それとも桜なのか。


《強くなくちゃ……綺麗じゃなくちゃ……
誰かの傍にいたら……いけないのかな……?》



それはきっと、美しいものではない。
傷ついた者同士が励ましあう、傷の舐めあいでしかない。
けれど………それでも。



《大好きなだけじゃ……足りないのかな……っ?》



……それでも!


「私は…………っ」


速度が上がる。魔力が走る。
遠のきかけていた魔術の尻尾は、すぐ目の前に。
掴んだ尻尾にありったけの魔力を送り込む。
たちまち石化し、塵から無へと返る構成魔術。

―――真の石化は全てを凍らせる。
人もモノも、感情すらも。
それは強者の称号。神威の証。
弱い心の人間が持っていいものではないだろう。
だが、それでも。

この力がサクラを……大好きな人を守れるのなら―――



「私は―――――――――!!」





ゴッ!!


魔力の起こす塵風が居間に吹き荒れる。
はっと顔を上げると、そこは居間。即座に桜の様子を確認する。
胸から下は石化しており、正座をした足は硬い質感に覆われている。
長袖を着た左腕には血が滲んでおり、傷も負っている。
けれど、顔色はすこぶる良く、桜の命に別状は無いことを示していた。

「…………っ、サクラ……!」

まだ呆然としている桜の頬を軽く張る。

「ラ、ライダー、桜は…………っ!?」
「魔術は排除しました……けれど、その効果の程はまだ……」

シロウの問いに眉を寄せながら応える。結果はまだ出ていない。
徐々に焦点が合ってきた桜は、目の前に居るライダーを見つめると、

「…………!」


ぷいっと、横を向いてしまう。


「………………あ」
「…………ああ」

その反応に、ガクリと膝を落としてしまう。
何も……変わらなかったのだろうか。

「……せ」
「……え?」
「先輩との事………っ」
「…………?」
「せんぱいとの事は……っ、ぐすっ……許してないんだからっ……!」

そう叫ぶように言い放つと、桜はライダーの胸に飛び込んで
嗚咽を上げる。

「さ、サクラ…………?」
「う……ぐ……っ……ばかぁ!!!
怖かったのに……わたし、変になっちゃったのかなって怖かったのにっ!
わたしのこと放って……せんぱいと、へんなことしてて……っ!
許さない、許さないんだから……!! ばか〜〜〜〜!!!」
「サクラ…………」

床に腰を落とし、涙を零す桜の背を優しく撫でる。
ああ、また泣かせてしまった。傷つけてしまった。
私は、酷いサーヴァントだ。

「サクラ……サクラ…………っ。
ごめんなさい……」
「しらないしらない……っ、ライダーなんて嫌い!!
だいっきらい!!」
「サクラ………」

しょんぼりと項垂れるライダー。ふと横を見ると士郎の姿が無い。
顔を上げれば障子を開けて廊下で手を振る彼の姿。
その表情は、『後は頑張れ』とでも言っているようだった。


「…………はい」
「ばかばかっ!ライダーのばか〜〜〜〜!!!」


桜の細い肩を抱きしめる。
私は弱い。
明日の幸せを祈る-大切な人達-より、快楽-カイブツになること-を選んだ弱い女だ。

けれど―――。


「……サクラ」
「……ライダーのばか……っ」
「私は……士郎のように強くも無くて……。
魔術の一つも教えられない、愚かなサーヴァントですが……」
「……ぐすっ…………うん」
「あなたの傍に居ても、構いませんか……?
あなたの事が大好きで、それだけでも……構いませんか?」


細い腕が、背中に回る。
ぎゅっと抱きしめられる、強い感触。



「ライダーじゃなくちゃ……やなの」



―――欲してくれる人がいる。
あなたがいいと、選んでくれる人がいる。
大好きな人が、ここにいる。


「……はい」



だから強くなる。なるのだ。
この想いが揺らがぬように。
貴方の笑顔を守れるように―――。




◇  ◇  ◇  ◇




衛宮邸より数百メートル。
小高い松の木の上に、夜の闇にまぎれるような漆黒のカソックを纏う影一つ。
影は望遠鏡を使うことも無くそれだけ遠い場所の状況を見て取ると、
やれやれという身振りを交え、ポケットから小型の通信機を取り出す。

『―――本日、異常こそ在ったものの、その兆候は無し。
引き続き監視を続行します』



ライダーと一緒編-Sその14。
一緒にいるのは難しい事じゃない。

ただ傍にいたいと、貴方の事を想っていると。
その想いだけが、あればいい。