選択



「―――士郎」
「…………ん、ライダーどうしたんだ?
居間にはすぐに行くよ」
「お話したいことが」

夜、衛宮邸。
仕事から帰宅し、私室にて背広を脱いでいる士郎に声をかけた。

「どうしたんだ改まって。
……もしかして、先日の妙な気配と関係ある話か?」
「……はい」
「判った、聞こう」

背広をハンガーにかけると、
士郎はネクタイを緩めながらライダーに座布団を勧める。
その勧めに預かり、士郎と正対するように正座をすると、
ライダーは教会での事を士郎に話す。

桜の魔術技能が急激に上昇していたこと。
知らない知識を当然のように話していたこと。
そして、当人がそれを意外にも思っていないこと……。


「なんだって……?」

口に手を当てて考え込む士郎。
予想より深刻な事態になりつつある事を察したのだろう。

「これは遠坂に連絡した方がいいな……。
とりあえず桜の身に何がおきたのか調べよう」
「……はい」
「……ん?
それ以外にも何かあるって顔だな」

女心には鈍い士郎だが、他人の窮地には恐ろしいほど鼻が利く。

「……士郎には隠せませんね」
「と言うより、相談半分でここに来ただろ、ライダー」
「……!そんな事まで判るのですか?」
「伊達に何年も一緒に居ないって。話してみろ」

そう言ってにっこりと笑顔を浮かべる士郎に胸をどきりとさせながら、
ライダーはその後のことを話し始める。

「……はい。サクラと共に教会を出た後、ある幻視に見舞われまして」
「……ライダーが、幻視?ちょっと待ってくれ、何かの魔術かそれは」
「……判然とはしないのですが。
とにかくその幻視を追うために、サクラをその場に放置してしまったのです……」
「え……ライダーが桜を……?」

目を丸くして見つめてくる士郎。
彼でさえ意外な出来事なのだ。置いてきぼりにされた桜の胸中は
如何程のものだったろうか。

あの後の桜の様子といえば、帰宅の途上において
痛々しいくらいの明るさでライダーに謝るきっかけを与えてくれなかった。
家に帰ってきてからは早々と台所に篭ってしまい、
「ライダーは部屋で待ってて!」と締め出される始末。
桜と仲直りしたい。傷つけてしまったことを謝罪したい。

だというのに、桜に対して言葉が出てこない。
無理にでも謝りに行く事が出来ない。
その気持ちをライダーは持て余しており、
どうしたらいいか判らなかったのだ。


「もう謝ったのか?」
「……いえ……」
「ライダーにしてははっきりしないな……。
すると、ライダーの見た幻視にその理由があるとみた」
「………ん」
「その幻視、どんなものだったんだ?」
「それは……」

士郎の質問に思わず口ごもる。
どう話せばいいのだろう。彼に対して“姉”達の事を話したことはない。

「……大切な人の幻です」
「大切な人……?」
「私の姉でした」
「…………そうか」

難しい顔をして黙り込んでしまう士郎。
十秒程目を瞑って考え込み、口を開く。

「とりあえず置き去りにしてしまったことを謝るべきだろう。
もし、その理由を尋ねられたんなら……」
「……はい」
「……なあライダー。ライダーはもしかしたら、
お姉さんと桜、二人を天秤にかけてしまったことを……
悔やんでるんじゃないのか?」


「―――あ」

士郎の言葉でようやく気付いた。
ライダーは桜より姉を取った、その事実を持て余していたのだ。

姉達はもういない。取るべきものは選ぶまでもない。
桜を取って当然なのだから、彼女に対して済まなかったと謝るべきなのに。
けれど……理屈では判っていても、心のどこかにわだかまりがある。
姉達が大切ではないといえば嘘になってしまう。

そして、その事を桜に伝えることは―――

『…………っ。なんて……』

……なんて、弱さだ。
守るべき一番を選べない弱さ。大切だと思う人にそれを伝えられない弱さ。
ライダーは桜に対し、“貴方を選べなかった”と伝える事が怖いのだ―――。


「……やっぱりそうか」
「…………」
「でもな、ライダー。
仲直りしたいって気持ちを伝えないと一歩も前に進めないぞ」
「はい……」


どうすればいい。この事実は桜を傷つける。
体のいい嘘をつくことは出来るだろう。けれど、嘘はいつか破綻する。
桜を大切に思うなら、嘘などはつくべきではない。
けれど…………。


「ライダー、時間は有限だ。
向き合うんなら気付いたときにしなくちゃ駄目だ」
「……士郎はやはり強いですね」
「別に強いわけじゃない。
同じような経験をしたことがあるだけだよ」

眉を寄せて呟く彼の顔を見て、はっと気付く。
士郎の言葉が重いのは……その選択を潜り抜けているからなのだ。
彼は桜の為に全てを捨てた。大切なものを全て捨てて、その為に歩んだ。

―――私は彼のように、何かを選んで生きてきたと言えるのだろうか。
いつだって進む道は決まっていた。
神話の時代も、桜を守るために戦った時も。
それはシンプルで迷うことの無い道。選ぶ必要もないほどわかりやすい道。
いま私が立たされているのは……その岐路なのだろうか―――。


「まあライダーも桜もお互いのこと好きなんだから、
顔見て話せば解決するんじゃないか?
ちゃんと話してみろ。そんな難しい事じゃないかもしれない」

優しい笑みを浮かべてライダーの肩を叩く士郎。
難しい事、たしかに考えすぎるのは悪い癖だ。
考えれば考えるほど深みに嵌ってしまう。そしていつか……破綻する。

士郎の笑顔に微笑を返す。
それが意外だったのか、士郎は顔を赤くしてそっぽを向く。

「少し気が楽になりました。感謝します、士郎」
「ああ、頑張れライダー。
しかし、ライダーに礼を言われるとなんだか照れるな」

頭をかいて快活に笑う。
なんとなく見つめたその顔がとても可愛らしく、素敵に見えて、
ライダーは必死に表情を消して、ポツリと呟く。


「あの」
「……ん?」
「……欲しいですか、礼」
「え……?」


上目遣いで士郎を見つめる。
今では自分よりも高い位置にある、士郎の瞳を見つめる。

「別に何か欲しくて……じゃなくてっ。
ほらライダー、俺既婚者だから!」
「既婚者じゃなければいいのですか?」
「い、いや、そうじゃなくてだな……」

顔を赤くして頭をかく士郎を見つめる。
間桐桜だけの衛宮士郎。彼女の為に迷わない騎士。
どんなに傷つき苦しんでも、その想いを間違えない強い男性。
桜を守る彼を見ていると、自分も守られているような気分になるときがある。
そうして……今回のように親身になって助けてもらえると。

心の奥に潜ませたスイッチが入ってしまいそうになる。
士郎の事を慕っている気持ちが、表に出そうになる―――。

「――――――あ。
も、申し訳ありません。……今のは忘れてください」
「あ……いや。
はは、そうだな」

慌てて体を離すライダー。けれど、絡んだ視線が離せない。
魔眼を使っているわけでもないのに、士郎の視線は自分に釘付けだ。
もし。もしも、桜のように可愛らしい訳でもない自分から目が離せないと、
彼が考えていてくれるのなら……それは、とても嬉しくて、幸せな事で……。



『へぇ』
「―――?」
「―――?」

声がして振り向く。
僅かに開いた障子戸の隙間には、影で出来た小人の姿が。

『礼ですか』
「……なんだ?」
「………………!!!」

それは、桜の使い魔。
ライダーですら満点を出してしまう完全な使役術で
コントロールされた桜の使い魔。影の使い魔には特徴がある。
二次元存在ゆえに―――気配がしないのだ。

『遅いから呼びにきたんですけど……お取り込み中みたいなので』

ライダーから逃れた士郎が使い魔に歩み寄ると、
使い魔は悠然と部屋の前から歩み去っていく。
その背中には地鳴りの効果音でも入りそうな気配だ。

「……なんだ?」
「あああああああああ………………」

なんという不覚。ああ、彼は悪くない。悪いのは全部自分だ。
ライダーは深く項垂れながら、桜との間に決定的な溝を
穿ってしまった事を悟るのだった。



ライダーと一緒編-Sその9。
大失敗。