この身は走狗であろうとも


少年の脚は迫り来る死から逃れる為
必死で駆け続ける。
だが。ただの人間がランサーを振り切れるわけも無く。
息を吸うのと同じように気配を殺し行動できる
ランサーの接近に気が付くことも無く・・・足を止めた。

「―――ハァ・・・ァ・・・なんだったんだ、今の・・・
もう一人誰かいた気がするけど・・・
けど、これでともかく―――」
「追いかけっこは終わり、だろ?」
少年の目が見開かれる。振り切ったと思っていた相手が
目前に現れたのだ。
「よう。わりと遠くまで走ったな、オマエ」
その表情が死の諦観に染まっていく。
「逃げられないってのは、オマエ自身が誰よりも判ってたんだろ?
なに。やられる側ってのは得てしてそういうもんだ。
別に恥じ入ることじゃない」
少年に罪は無い。ただ―――。
「運が無かったな坊主。ま、見られたからには死んでくれや」
―――運が、無かっただけ。


死棘の槍が、少年の心臓を貫いた。


少年は一度血を吐くとリノリウムの床にうつぶせに倒れこむ。
ゲイボルクの一撃で心臓を破壊されたのだ。致命的だろう。

「死人に口なしってな。弱いヤツがくたばるのは
当然といえば当然だが―――」

―――命からモノへ。
急速にその存在意義を変えてゆく少年を見下ろし
飄々と呟くランサーの表情は・・・。

「―――まったく嫌な仕事をさせてくれる。
この様で英雄とは・・・・・・笑い種だ」

その口調とは裏腹に。絶望に満ちていた―――。


戦士の一騎打ちに背を向ける。
無力な少年を口封じの為に狩り殺す。

・・・アルスターの猛犬と呼ばれた輝かしい英雄はもう、どこにもいなかった。



自虐の趣味は無い。ゆえにその矜持が如何に穢されようと
自身を嘲り貶めるような真似はしない。
だが―――。

『戻れ、ランサー。偵察は終わりだ』
この身を貶めた下種の声が聞こえる。

「・・・・解っている、文句は無いさ。女のサーヴァントは見たんだ。
大人しく戻ってやるよ」
糞忌々しい下種な主の下へなど戻りたくも無かったが
ランサーのうちに残る最後の尊いモノがその思いを振り払う。
他の全ては穢されてもこれだけは穢されてなるものか。

奇麗なもの。美しいもの。人はそういったモノを夢とし、矜持として抱く。
だが槍兵の中にあるそれらは既に砕かれた。
だから今この体に残る唯一尊いものは主との誓いだけ。

―――そう、神父を殺すという殺意。

だからこの願い・・・「強者との全力を尽くした戦い」。
迫ってくるアーチャーの足音がそれを予感させても・・・彼は折れなかった。
―――今はまだ。奴の走狗で在らねば。


「―――アーチャーか。ケリをつけておきたいところだが
マスターの方針を破るわけにもいくまい。
・・・まったく、いけすかねえマスターだこと」
聞こえているのかどうなのか。
ランサーはわざとらしくそう呟くと廊下の窓から飛び降りた。



ランサー編その4。
サーヴァント同士の戦闘。この世にあらざる神秘を垣間見られたからには
その少年の生存を魔術師の法が許さなかった。
魔術は秘匿されるべきもの。
ランサーにとってどうでも良いそんな理屈の為に
己の矜持を犯し、やりたくもない殺しを行う。
その在り様は徐々に彼の精神から覇気を奪っていく。