英雄:後編


「は――――たく、結局こうなったか、たわけ」

壁にもたれかかり、崩れ落ちる……否、消滅しようとする
自身の体を繋ぎとめる。
『覚悟の上とはいえ……あんな下種と相打ちたぁ……
無様な英雄もいたものだな……ククク』
霞がかった意識に上るのはもう、戯れ言ばかり。
どうやら……本気でお迎えが近いようだ。


―――靄がかった視界の隅で誰かが蠢く。
誰かが誰かに圧し掛かり、何かをわめいている。

「――――――カ――まえだよ遠坂」

―――遠坂。遠坂凛。

―――ああ。
まだ、遣り残したことが、ある。
まずは、この小うるさいガキを……黙らせねェと。

「いま――誰が僕―邪魔をす――ていうんだ」
「――――おい」

ドガアアッ!

「―――――ぎ!」
ランサーの鉄拳によって少年は宙を飛ぶ。
「ガキが。そいつはテメエなんかが触れていい女じゃねえ」
ふらつく脚をなんとか御し、ランサーは少女の下へ歩み寄る。
「なに?死に損な――分際でボ――意見しよう―――うの?」
拳の入りが甘かったのか。
即座に復活した少年は何の自信か、高圧的な物言いを展開する。
『……まだ鳴くか。ヒヨコが』
ふらつく足取りを少年のほうに向ける。
「――――――――――死ねたっ――――――
――――殺さない――――。―――――ギル――――
死にたい――ってさ!」
『死にたいのか。それは楽でいい』
血液が足りないランサーの頭には少年の声は全く届かない。
「―――――――――――――だろう!」
その耳障りなノイズを受けながら、一歩、また一歩。
間合いを詰めてゆく。
「――――――――――!――――――――!
―――――――!
―――――――――――――――!」
『あーもう、うるせぇ』

―――ヒュッ。ザシュッ!

槍による打突。瀕死の身ではあっても流石はランサー、槍の英雄である。
その穂先は少年の左肩を見事に貫いていた。

「ひ――――?
ひ、ひあ、ああああああああああああ!!!??????」
その絶叫で混濁していたランサーの意識は引き戻された。
『たく……ヤロウの絶叫でお目覚めたぁ……
こういうのは美女の口付けが相場だろ?』
愚痴をたたきながらも正確な所作で槍を引き抜き
今度は少年の眉間に穂先を合わせる。
「―――失せろ。
死に損ないでもな、オマエ程度なら千人殺したところで支障はない」
「ひっ――――は、はあ、はあ、ヒ――――!」
そうして、ようやく五月蝿いハエは去った。


「……ったく。無駄な体力使わせやがって」
大きく息を吐いて、今度こそ少女へと歩み寄った。
風を切る槍は、少女の戒めを紙の様に両断する。
「―――ありがとう。助かったわ、ランサー」
少女は丁寧に頭を下げる。
「……ふん。ま、成り行きだからな。礼を言われる筋じゃねえ」

そう、呟いて。
それでなにかを出し切ってしまったのか。
―――ランサーは力なく崩れ落ちた。

「ラ、ランサー……!?」
慌てて支えようとする少女の手をすり抜け、ランサーは地面に腰を落とす。
―――限界だった。
「ごっ…………!」
口からあふれ出る滝のような喀血。生命が体から立ち消えてゆく。
「……っ。待ってて、すぐに傷を塞ぐから―――!」
眉根を寄せて駆け寄ってくる少女。
「無駄だ。オレの槍で破壊された心臓は簡単には治らん。
だいたいな、そんな余分な魔力は残ってねえだろ、おまえ」
少女を手で制し、満足げな表情でランサーは呟く。
「……けど、それじゃ―――」
「まあ気にするな。こういうのには慣れてる。
英雄ってのはな。いつだって理不尽な命令で死ぬものなんだからよ」
「………………」

少女は悲しいような、苦しいような。そんな顔で立ち尽くす。
誰かを、心配する……人間の顔だった。

それを見て、ほう、と。
槍兵は息をついた。

―――ああ。オレはこの少女を守れたようだ。
魔術師らしからぬ、どうにも温く、だがなんとも過ごしやすい。
その心を、守った。

誓いは果たし。約束は守った。
槍兵の戦いは、終わったのだ。

「―――いや。お互い、つまんねえ相棒引いちまったな」
「……そうね。けど、わたしのはつまんないっていうより
扱いづらいだけだったかな」
「違いない。おまえのような女が相棒だったら言うことはなかったんだが
―――生憎、昔からいい女とは縁がなくてな、
まったく、こればっかりは何度繰り返しても治らねえみてえだ」

クク、と。自嘲気味に笑う。
物事に果たしても糞もないのだろう。因果の槍がそうであるように。
既に終わった存在である英雄も、きっとそれを繰り返す。
この生き方を、矜持を、守り続ける限り。

だが、それでも。
アイツが……守るべき主が。誇らしいと笑ってくれるなら。
―――それで、いい。
我が身は、『英雄』であり続けよう―――。

「……さあ、早く行け。こいつはオレが連れて行く。
―――オマエは、オマエの相棒のところに戻らないと」

いつまでも動こうとしない少女を急かすようにランサーは言った。
その手には”アンサス”のルーン。
下種な神父と火葬とは正直うんざりだが
この少女を送る送り火になれるのならば、まあ、よしとしよう。

「―――――――――」
少女は背を向ける。
「―――さよならランサー。
短い間だったけど、わたしも貴方みたいな人は好きよ」
そして、大広間へと駆けていった。

「―――は。小娘が、もちっと歳とって出直して来い」
心底愉快そうに、ランサーは笑った。



手から零れたアンサスは瞬く間に燃え広がり、城を焼いてゆく。
黒い神父も、青い騎士の体も。
そうして、英雄の戦いは幕を閉じた。



ランサー編その33。
英雄の最後。
英雄は英雄ゆえに。
英雄たる矜持を守り続ける限り……
報われないのだろう。
だがそれでも。
男は満足だった。

我が主、オマエの従者は。
最後まで英雄だったぞ。