■コイムスビ-神様と一緒- |
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■―――空の目:3 |
稲佐浜に炎が煌めく。 赤々と踊る炎の舌が、暗闇を引き裂くように虚空を焦がす。 踊る炎、揺れる幾多の影。そのリズムに合わせ、祝詞も踊る。 強く、弱く、激しく、儚く。世界に波を刻むように、神職達は一心不乱に謳い上げる。 それは、神を呼ぶ歌だ。 ここにはいない者。空に在りて、人々を見下ろすもの。 見えぬものを導く為に、尊きものを迎える為に、人々はかがり火を燃やし、声をあげ、大幣を振る。 そうして、祭りの色が濃さを増し、人々の熱が最高潮に達した、その時―――。 ゴウッ―――! 風が吹く。世界を切り裂く、強い風が。 風は炎を巻き上げ、波を穿ち、海を割ると、暴風となり稲佐浜の人々を打った。 もんどりうって倒れる人々。ごうごうと吹く風に木々は葉を散らし、砂は舞い踊る。 強風は力を緩めない。岩をも動かす強烈な風は、まるで神の怒りを示すよう。 「むう………!」 年老いた神職は、その風に神の示現を見た。 見えるものにしか見えない光る風。空を覆う粒子のオーロラ。 キラキラと輝く光の粒は、風の渦に巻かれるように浜の一点へと収束していく。 老神職はその先を見る。荒々しく白波を立てる稲佐浜。その波打ち際に打ち上げられた、光り輝く巨大な何か。 「おおお………」 腰を抜かしていた若い神職たちも、思わず声を上げる。 それは蛇………否、蛇といえるのかどうか。 太い体躯は一抱えでは足りず、あまりに長大な体躯はその全てを浜の上に見せてはいない。 巨大なアゴは樹木ですら易々と飲み込みそうなほどに逞しく、牙は丸太のように巨大で太い。 何よりも異様なのはその色だ。炎以外の明かりが存在しない闇の中で、炎の赤をかき消す虹色の七色を放っていた。 老神職は背筋を震わせ竜蛇を見つめる。 巨体を震わせ、苦悶の喘ぎをもらす七色の蛇。 明らかな示現、明らかな異形。そこには神秘よりも―――底知れぬ不吉の匂いが漂っていた。 その日、出雲は揺れていた。 山々の頂を越え、空を切り裂くように屹立する巨大な社殿、出雲大社。 角のように特異な形状を持つ巨大な本殿を囲むように、柱のようにそそり立つ巨大な柱が異形の社を守るように立っている。 そのうちの一つ―――拝殿の大広間で、神々は声無き声で話し合っていた。 話題は無論のこと、浜に打ち上げられた竜蛇の事である。 『あれは主様の写身に間違いなかろう』 拝殿を構成する柱の一つ、巨大な柱の上で、そのスケールをぼやかす巨大な烏が、遥か地表を見つめながら意思を飛ばす。 最早烏と言えるのか判らぬほどに発達した、漆黒の嘴をその場にいる一同に向け、彼らの意を探る。 『何ゆえ人の世に神使を。解せぬ』 グルル、と喉を鳴らし、銀色の虎が顎を上げる。 全身に美しい意匠の鎧を纏い、山をもなぎ倒す巨大な四肢を優美に備えるその姿は、圧倒的な威厳を兼ね備えていた。 『罰じゃろう』 中空で丸くなっていた兎が、赤い目を僅かに開いて意思を放つ。 あまりに明確なその言葉に、一同の間に軽い緊張が走る。 『裏切られ、汚された。此度の議りの意味、貴殿らも知っての通り。 その場に、主上はこれほど明確な顕現を成された。最早議は必要あるまい』 赤い目を冷酷に眇め、兎は一同を睥睨する。 暫しの沈黙が降りる。 『そうかも知れぬな』 拝殿の天上で一同を見下ろしていた巨大な鼠が、諦観の思念を送る。 その意には悲しみとも憎しみとも取れる、静かで強い意思が含まれていた。 『………反論はせぬのか、伊吹の』 烏の声に、一同は一斉に獣を見る。 その場の誰よりも大きく、逞しい猪の姿を。 『………………』 猪は静かな目で一同を見つめる。 優美で美しい、九つの獣。強い神気を身にまとう、偉大なる十二支の王たち。 彼らに比べ、猪の纏う神気はあまりにも淀み、衰えていた。 止められないだろう。そのための議論は既に尽くし、その結果多くのものを失った。 正しいのは彼らだろう。何が正義なのか、その答えは既に出ている。寛容の時は終わったのだ。 『………………』 だが、猪の視線には諦観など微塵も無い。 勝ち負けや正義の問題では無い。何をするか、何を成すか。 そんな事は、口にするまでも無い事だ。彼らが決めているように、猪もとっくの昔に決めていた。 『相も変わらぬな、貴様は』 グルル、と虎が喉を鳴らし、銀色の目を細める。 虎は腕の間に頭を埋めると、我関せずと眠りに付く。 『銀虎よ、戦の刃よ。何故に眠る?』 『好きに生き、好きに滅べば良いのだ。結果は己が業が導くだろう』 『馬鹿な、これ以上の冒涜と魂の流入を放置せよというのか』 『我らの意義はその先に在り。 主上の意が荒神を求めるのならば、それを滅する刃と成ろう。 それまで我は動かぬよ』 『猫が………』 兎は赤い目に険を宿し、虎を睨みつける。 だが、虎はあくびを一つ眠りに付いてしまう。 「それは、聞き捨てなりません、兎殿」 ―――だが。 静かな会議を切り裂くように、幼い声が拝殿に響く。 「猫といいましたね、兎殿」 銀虎が眠る柱の後ろから、小さな少女が姿を現す。 最高位の護法のみが列席するこの“十二支長議り”において、列席を許される若き獣。 少女は、特別な獣であった。 『“天剣”か………』 兎は目を細め少女を見つめる。 威圧とも取れる鋭い視線。だが、少女はその視線を受けても揺るがない。 「撤回していただきたい。 我らは虎だ。猫ではない」 『………………』 兎は若い不満に苦笑を浮かべると、自身を取り囲む空間ごと消え去った。 「あ………っ」 『兎殿を追い払うとは、たいしたものだ』 ククク、と喉で笑うと虎は顔を上げ、小さな金色の少女を見つめる。 少女は不満そうに眉を寄せると、柱の上で姿勢良く正座に戻る。 その様子に、張り詰めていた拝殿の空気は優しいものとなる。猪は目を細めて少女に視線を向ける。 『金の少女よ、物部よ。 我が名は護法猪神、凍天の猛。貴女の名前を窺っても良いかな』 「は………伊吹殿、そ、その光栄です」 少女はびっくりしたように背を伸ばすと、猪に対して正対する。 「私は臨。護法虎神、“天剣”の臨」 『………ほう。では、貴女が………』 緊張にはにかむ少女は、尊敬する神の前で誇らしそうに胸を張る。 「はい。十二天将、青龍位の護法です」 |
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